寒い。
今年は、なんか寒い。
寒いので、とうとう薪が払底してしまった。
何かの時代小説だったか、あまりに寒いので、自分が住んでいる家の板壁を、ひっぺがしては、囲炉裏にくべていた男のことを思い出すが、あの男は、あのあとどうしたのだろう。
とうとう、最後には、自分と囲炉裏だけ残るという話だったか、よく覚えていない。
薪ストーブ用の薪は、最低一年は乾燥させましょう。と言われるが、そもそも私は、そんな事をしたことがない。
倒した木や、もらった角材や、玉切りにしたままの太いやつを、とりあえずそのへんに転がしておく。
薪ストーブマニアは、冬のストーブを焚く時間のために、夏の暑いさなかでも、薪割りをいとわないと言われているが、ごめんだ。私はとてもそんな事はできない。
いや、気持ち的には、夏のうちに、働いておけば冬にラクなのは、わかるのだが、ここは南国鹿児島。
そんなに働いてどうする。
夏の気温30ドを超えるさなか、滝のように汗を流し、蚊に巻かれながら薪割りをする勇気はとんでもないことだ。
ただただ蛮勇であろう。
で、昼寝をしていると、あっという間に冬になるのだ。これが。鹿児島は。
今年なぞ、秋があったかどうか? 一週間くらいは、そんな気候もあったかもしれないが、暑い暑い、
と言ってると、急に寒い寒いとなるから不思議だ。
で、最初に戻るが、すぐにその日の薪がなくなる。
あわてて、そのへんに転がしておいた玉をとりあえず割ってみる。
まだ、芯が湿気っているので、もらった角材も割って足しにする。
焚きつけがないので、杉っ葉を拾いに行く。
そんな調子で、とりあえず、その日に焚く量の、コンテナ一個半分を確保する。
それから、これが、私のえらいところなのだが、その勢いで、少し、余るくらいの薪もついでに割っておく。
それを、今日は薪割りはできないな。という日の為の非常時用に少しずつためてひそかにとっておく。
実はこれを去年もやっておいたのだ。
そうやってためておいた薪を、今焚いている。
去年の一年間乾燥させた薪だ。
こうゆうのを、なんか、昔の自分に助けられるって、ゆうんですか、ああ、あの時、余分に薪割りした自分よありがとう。
と、しみじみ感謝するのである。
ばかくさい人生でも、そんな過去のりっぱな自分がひとときでもいたというありがたさよ。
まったくすばらしい。
猫のうんこを踏んで、あまりの足の裏の臭さに、激しく過去の自分をののしった今朝の私とはちょっと違う気分だ。