充電式バッテリーチェンソーいろいろ比較して悩んだが、突然、朝、コーシンの充電式チェンソーを買った。その2

さて、店員さんに箱を出してもらいました。

「今ならバッテリープラス一個付き(合計2個)」

と、赤丸入りで、まごう事なく書いてあります。

 

「枝切りにおすすめ!」

とあります。枝切り人が想定使用ターゲットなのですね。

家に帰り、箱を開け、オレゴンのチェンソーガイドバーと、刃、バッテリーを取り付け、チェンソーオイルを入れます。

「うむ。よいではないか、かっ、かっ、かっ、」

コーシン充電式トップハンドルバッテリーチェンソー

 

トップハンドルはやはりバッテリーですね。(なんだその宣伝?)

ガイドバーの先端にキックバック防止の黒いガードが付いています。

中央の大きなオレンジ色のハンドルは、チェーンの張りを調節する為のもの。

左下の薄いのがバッテリー(リチウムイオン、18V,2,0Ah)

ちょっと容量少ないかな?

バッテリーは、本当に2個入っており、
本体に、残量表示のLEDが付いています。

 


充電器は、アダプターと、差し込み部だけの簡素なもの。
このへんで、コストをおさえてあるのでしょうか。
こんなもんで十分です。
アダプターの出力は、21.5Vです。

残量表示つきのバッテリー
コーシンの18Vバッテリー

反対側からの画像。

キックバックガードがよくわかります。
中央上のキャップを外してオイルを入れます。
ちょっと斜めっていて、入れにくいのが難点です。

ガイドバーケースと、チェンソーオイル(一回分ぐらい)が付いていました。すぐ使えるので、親切。

ホールドした時。

 

片手で軽く持てます。
持てますが、片手で切ってはいけません!

上の四角いのが、メインスイッチ。
今はグリーンですが、負荷がかかったりすると停止し、レッドになります。もう一回押せば戻ります。

お尻部。
丸いボタンを押しながら、バッテリーを外します。
フックなどをかけるリング付き。
樹上で、アーボリスト気分になりたい時用。

さて、切ってみます。

「シュイーン!」と、やや高い音。

夜作業するのには、はばかられますが、夕方、なんなら朝方でも大丈夫そうな感じです。
もちろんエンジンチェンソーと比べると、格段に小さい音です。

Φ5センチから8センチくらいの太さの木なら、楽々切れます。

調子に乗ってΦ15センチの桜を切ってみます。

乾燥しきっていて硬いです。

 

キックバックガードが当たるので、中まで刃を差し込めず、芯の部分が残りましたが、最後はノコで切りました。
最初からノコで切るよりはずっと楽です。

黒いキックバックガードは、先端のガイドバーに、リベットで、かしめて止めてあるので、簡単には外せません。

外そうと思えば、リベットの頭をサンダーで削って外せるのでしょうが、安全性は低くなります。

このバッテリーチェンソーは、少しの負荷で、保護機能が働き、停止します。ちょっとセンシティブすぎるくらいです。
それを考えると、ガードは無くてもいいように思いますが、
実際ほかのメーカには付いていないようですし。
悩ましいところです。

「この部分を使うと、キックバックが起きますよ!」

という、警告だと思って、しばらくはこのまま使ってみましょう。(リベット止めを、ボルト止めに変更してもいいか。)

!改造はいけません!!

さてさて、直径5,6センチくらいの丸太を、7,8本。
と、桜の径15センチ丸太を一本、切りました。

バッテリー残量は一個表示になりました。

バッテリーが、2Ahなので、もちが心配(マキタは4Ah)でしたが、夕方の空き時間に、軽く薪を作る程度なら大丈夫なようです。

時間は30分ぐらいでしょうか?

今まで私は、細い木は、ナタで切るのですが、ちょっと太めの木、ナタで切るのはきついな。というのを、ノコで切っていましたが、まさにその太さの木を切るのに最適です。


これで腱鞘炎の心配が減りそうです。

 

さてまあ、そんな感じで、使えるやつでした。

もう一個のバッテリーを使ったら、まだ作業出来たでしょうが、今日はこれぐらいにしときましょう。

今回、バッテリーチェンソーを買うに当たり、いろいろ調べましたが、まだ数が少ないので、比較しやすかったです。

今回バッテリーチェンソーについて感じたことを次回まとめて書いてみたいと思います。

 

充電式バッテリーチェンソーいろいろ比較して悩んだが、突然、朝、コーシンの充電式チェンソーを買った。その1

今日からGO TO トラベル。何処へ行けと言うのかね?

バカも休み休み言え。

この状態で、どこに行くのだ?

熊本県人吉市九日町商店街

先週、人吉市に行ってきたが、想像以上のひどさだった。

特に商店街とその周辺がひどい。

二階まで水が来て、一階は天井まで浸水したのだ。

浸水というと、水の字がついているから、きれいな感じがするが、水ではなく、泥である。浸泥というのが現状を表すのに正しい言葉だろう

人吉市商店街が浸泥。

 

球磨川を渡る大橋に行く手前の歩道。

天井まで泥が来たのだから、全てのものが泥まみれである。
しかも、粒子の細かい、泥漿のような泥。乾いて固まれば、コンクリートのようになるという。

えびす神社の鳥居。小さな鳥居ではあるがひどいありさまだ。
ここまで泥が来たのだ。
全てが泥、泥、泥。
中洲のトイレ。屋根瓦が無い。

この状態で観光旅行に行け?

笑わせるな。

ちなみに人吉も観光地だ。無神経もたいがいにしろ。

震災の原発瓦礫を全国にばらまき始めた頃から、この国は、利権で動く事を恥とも思わず、堂々と開き直り始めたが、今回のコロナからここまでの一連の状態を見ていると、もはや既に開き直りは常軌を逸し、自らをじわじわと腐らせ始め、利権で動くどころか、利権でがんじがらめで修正不可能の糞詰まりのドンゴロス状態になってしまっていたのだとわかる。

今日2020年7月22日は、この国が腐敗の最高段階に進み、もはやこれまで。
あとは崩れてチリになり、風に飛ばされる状態に移行した記念日となるだろう。

奇しくも、予定なら今頃オリンピックが始まっていた頃だ。

とにかく人吉市、および球磨川流域は、甚大な被害を受けた。

立ち直るのには、膨大な時間と労苦がいるだろう。

人吉名物、温泉も、球磨焼酎も、うなぎ屋もひどいありさまだ。
とりあえず、魚座民藝店の店主さんは大丈夫だが。

被害の有様が、新聞各社に掲載されていたので、一部抜粋しておく。

あゆの里近くの駐車場はボランティアの災害ごみ集積所になっている。

(西日本新聞7月15日)
このままでは街がなくなってしまう-。熊本県南部を中心に襲った豪雨は、球磨川に近い人吉市の中心商店街を一変させた。濁流は店や旅館のガラス戸を打ち破り、商品や棚を泥と水でくまなく覆った。創業60年の地場スーパー「イスミ」の会長、岡本光雄さん(73)は「商店街は壊滅的な状況。営業を諦める店も出るだろう。早く具体的な支援策の情報がほしい」と訴えた

4日午後6時ごろ、水が引いたのを見計らい、岡本さんはぬかるみに足をとられながら商店街を歩いた。甚大な被害にがくぜんとし、「店主のみなさんは立ち直れるだろうか」と不安を覚えた。

イスミ本店(同市九日町)に従業員用の出入り口から入ると、店内は停電で真っ暗。肉や魚のパック、野菜、総菜などが床にたまった泥に埋まり、商品棚は傾いていた。地下への階段は泥にまみれた商品や買い物かごなどが散乱。手が付けられない状態で、その日は何もできなかった。

旬の生鮮品や総菜が並び、従業員と買い物客らが当たり前に会話する老舗スーパーの日常は、予告なく奪われた。被害額は、在庫の廃棄だけで1500万円に上る見込みだ。「何とかして営業再開にたどり着きたいが、いつになるか…」

同市五日町にある創業百年の「山田折箱店」も、店の1階やプラスチック容器などの在庫が全て水に漬かった。3代目の山田泰久さん(67)は「木箱からプラスチックに需要が移り、今では仕入れ業が中心で、もともと厳しい状況だった。こんな状況ではとても再開は考えられない」と廃業を口にした。

同市紺屋町でバー「シシリアン」を経営する中村久典さん(52)は「飲食店が多い商店街だが、半分近く廃業すると聞く。ビルもいくつか取り壊しが決まったようだ」と心配顔。ただ、「再開の見当もつかないが、自分は必ずこの場所で再開したい」と力を込めた。

球磨川沿いにある温泉旅館「清流山水花あゆの里」では14日、泉源に流れ込んだ土砂を取り除き、湯が再び湧き出した。女将[おかみ]の有村政代さん(69)は「温泉は旅館の命。光が差したようで、とにかくほっとした」と顔をほころばせる。

それでも、豪華なラウンジやバー、ロビーや売店があった1階は全壊。「全面復旧はまだ先だが、少しずつ再開させていきたい」

西日本新聞社

(朝日新聞7月12日)
水が引き始めた午後3時ごろ、1階に下りると、たれが入った鍋はひっくり返り、中身が流れ出して空っぽになっていた。水槽を泳いでいた約200匹のうなぎは大半が逃げたり死んだりし、残っていたのは3匹だけだった。

上村さんの夫で、3代目店主の由紀穂(ゆきほ)さん(70)は家の浸水で店にたどり着けなかった。店内を見たのは5日昼。「涙も出ない、言葉も出ない。笑うしかなかった」

店は由紀穂さんの祖父が1908年に始めた。午前7時に店に入り、仕込む。毎日200匹のうなぎをさばき、昼には恵子さんの手作り弁当を2人で食べるのが数十年来の日課だった。

たれは祖父の代から受け継がれた店の宝。鹿児島や宮崎産のうなぎを炭火でじっくり焼き上げ、仕上げにさっと塗ることで、甘じょっぱい味になる。地元客や観光客に人気だった。

朝日新聞社

(毎日新聞7月21日)

九州豪雨で甚大な被害を受けた熊本県南部、球磨(くま)地方の特産品・球磨焼酎の蔵元の一つ「渕田酒造場」(人吉市)が、存続の危機にさらされている。約140年前に建てられた母屋をはじめ、製造施設が球磨川の氾濫で全て浸水。被害額は数億円とみられ、新型コロナウイルスで打撃を受けた老舗の経営にさらにのしかかる。次世代を担う蔵人(くらびと)の渕田将(しょう)さん(25)は、打ちひしがれながらも「伝統を絶やすわけにはいかない」と決意を固め、5代目社長の父将義さん(63)と再建に奔走する。

人吉市全域が戦場となった西南戦争(1877年)翌年の創業。格子が趣深い町家造りの母屋と球磨川の距離は200メートル足らずで、4日早朝に氾濫が始まると、浸水はあっという間だった。将さん一家は決算書やパソコンを母屋の上部に移動させたが、迫る水に危険を感じ、道向かいの3階建ての自宅へ避難し、そこから母屋などがのみ込まれる様子を目の当たりにした。

幸い5人の社員は全員無事だったが、約3メートル水につかった母屋は泥だらけに。焼酎を寝かせる貯蔵タンクも約20本なぎ倒されていた。中身の状態はまだ確認できていないが、将さんは「多分だめだろう。これで売り物がなくなったとがっくりしました」と語る。

(毎日新聞社)







    

煙の出ない燃やし方 その2(追記)

キャンピングスモーカー コールマン

最近、拙文 「煙の出ない燃やし方」をご覧になる方が多いようである。

近頃、世の中がせせこましくなって、煙トラブルを抱えていらっしゃる方も多いのか?

と、心配になる。

前回の記事から、いつの間にか時も過ぎ、いろいろと老婆心ながら、書き加えたい事もあるので、追記する事にした。

以下、前回「煙の出ない燃やし方」の記事末尾に、追記した文章です。

(最後に〜 2018年12月5日追記

この記事を書いてから、4年近く経つが、冒頭でも追記したように、最近この記事のアクセスが多い。
皆さん「煙のでない燃やし方。」で悩んでいらっしゃるようだ。

誤解をまねかないよう、煙と、炎について、私の考えと、立ち位置を言っておこうと思う。

荒野の中で、煙を出すのなら、問題はないだろうが、結局、まわりに人がいるから、その密度によって、問題が起きるのである。

ところが逆に、人の密度が多くても、どんど焼き、や、鬼火焚き。農業や、林業仕事での野焼きなどであれば、堂々と、煙を出せる訳で、こちらは周りに人がいても問題ない。

しかし、そのような行事や、共同作業は、今の時代だんだん少なくなって来ている。
地方の高齢化、人口減(過疎とも言う、変な言葉だが。疎が過ぎるとは、どういう意味だ?)
のせいである。

そして逆に、都市部の人の密度は高くなって来ており、そういう所での煙のトラブルは多い。薪ストーブの煙苦情などである。
もちろん鬼火焚きなど出来るはずもない。

人の密度が高くても、煙に文句言われる場合と、文句言われない場合があるというのが面白い。

また、少子高齢化と、地方の人口減が進むほど、煙と、炎が人間の生活の周りから、減っていくというのも、何かの符号のようで面白い。

炎と、煙を駆逐していくようでは、生活はますます、息苦しくなっていくだろう。
そして、炎と、煙のありがたみを知らない人間が増え、ますます炎と煙は遠ざけられていく。

(炎は、ともかく、煙にありがたみがあるのか?と思うが、煙をくゆらせてくつろいだり、煙を肉に当てて、燻製に出来るありがたみがあるのだった。)

少子高齢化というが、20年前に、ちょっとした何らかの手を打っておけば、今頃は、その子らが税金を収め始めているのだ。

いや、16になれば、バイクに乗ったり、タバコを吸ってくれるので、ガソリン税や、たばこ税を収めてくれる。

いやいや、自分で、お買い物に行ける歳になれば、小遣いから、消費税を払ってくれるではないか。

そんな簡単なフックも起こさずに、自分の知り合いと、アメリカにお金をばらまくしか能のない、無為無策のマスターはほっといて、私は少々、迂遠ではあるが、炎と、煙のありがたみをボディに伝えていく事で、地方の人口減と、少子高齢化の流れに逆らっていけるのではないかとバカバカしくも考えているのである。
「風が吹けば桶屋が儲かる」の伝ではあるが、無為無策よりはましだろうと思う。

 

鬼火焚き 吉川







冬のトマト

リトルガーデン ミニトマト

なんだか、文学的なタイトルになってしまったが。

12月だというのに梅雨どきのような雨が降り、気分も文学的なのである。
そして今年は暖かくて、もう12月だというのに、まだトマトが採れるのだ。

夏に植えたのに、いまだに茎も葉っぱも青々として元気だ。むしろ、夏より元気かもしれない。

同じ時期に植えた、野菜たちはとっくに枯れたのに。

きゅうりは、台風でやられて、早々と枯れた。
ナスは草に負けて駄目になった。
サトイモと、サツマイモは掘り上げて収穫が済んだ。

それなのにトマトは未だ現役なのだ。

植えてから、もう半年に近くなる

どうやら、新芽を摘むのをやめて、地這い状態(つまり、ほったらかし。)
にしたのがよかったらしい。

支えて立ててる時は、実もあまりできなかったのに、地這いにしてから、どんどん出来だした。

トマトは難しい野菜だと、思い込んでいたが、これならうちの畑でも大丈夫かもしれない。

来年が楽しみだ。

いや、今のトマト、ひょっとしたら、年を越すかもしれない。







とおりすがりの辛いカレー屋さん 2の2

国立のカフェ「circus」インドのカレー料理、トルコ風サンドイッチ、中東の煮込み、ロシア風スープ料理やパンまで、見ているだけで楽しい、各国風料理が全63種類。

    さて、(続き)  (前編はこっち)

タオルを取って席に戻る私の後から、男女二人組みの、お客さんやら、常連らしいおじさんやら、入ってくる。

12時近くなって混んできたようである。

(混み合っているとこで、爆汗したくないがなぁ・・・・)

と、思い悩むうち、素早くも、カツカレーが出てきた。

(いただきまする。)

(! うう・・・・・か・・・から)

「すいません! ごはん大盛りにしてもらってもいいですか?」

これはもう、ごはんで汗を押さえ込むしかない。

カレーをちょびっと食べて、ご飯を多めに食べ、残った辛い味は、水で素早く流し込もう。

しかしもうやはり駄目であった。

後頭部の汗腺が降伏したようで、決壊。

ダダ漏れである。

(タオル取って来て正解だった。)

「あんた、何食っても汗かくっちゃね。」

見ると、隣の男女組の男性も、しきりに頭をタオルでぬぐっている。

「しょーがなかろー」

同類発見!

ああ、世の中は広い。

しかし、狭い。

同じ現象が隣接して起きるとは。

なんだか、おかしくもなりつつ、照れくさくもあり、サービスのゆで卵を、そそくさとほおばり、お店を出る。

(次来た時は、ハンバーグ定食かな。)

おいしいお店であった。

(前編)2の1はこちら







とおりすがりの辛いカレー屋さん 2の1

ルー1個でご飯2個食べられます。二人で分けるのもOK。

とおりすがりにカレー屋を見つけた。

初めての街を車で走っていて、早めのお昼にしようかなと、
手頃なお店を探していたときだ。

定食屋っぽいお店構えで、(??)カレー屋と読めた。

丁度路肩が空いており駐めやすいので、ここに決めた。

車を駐めてから、看板を見上げると、「辛いカレー屋」
と書いてある。

(定食屋っぽい外見と比して、挑戦的なタイトルだな?)

一瞬不安がよぎったが、もう駐めたし、ままよと入ってみる。

実は吹きガラスの仕事を始めてから、ものすごい汗かきになった。
すごい汗かきでない、ものすごい汗かきになったのだ。

(うう・・・・あ、暑い)と、ある臨界点を超えると、どっと、まるで水道の栓をひねるように汗が出るのである。

熱い硝子炉の前で、扇風機の風をあびている時は、これが涼しくて気持ち良い。

しかし一般世間に出ている時には、あまり出てほしくない症状なのだが、実は(辛い)ものを食べたときにも、おんなじ現象が起こる。

(うう・・・・か、辛い)と、ある臨界点を超えると、それこそまるで、(上記同)のように、どっと汗が出るのである。

メニューオープン。

カレーのメニューが充実しておる。
お、ハンバーグ定食など、カレー以外のもあるようだ。

そして、やはり、
「激辛お好みの方は、お申し出ください。」
と書いてある。

という事は、つまり、激辛でない普通のは、普通に辛い、という事なのだろう。

当然、「甘口お好みの方は・・・・」などとは書いてない。

ハンバーグ定食にしようかと、一瞬躊躇したが、えーい、とカツカレーをたのむ。

こうゆうところが、私は、バカなのである。

店に漂うカレーの匂いから、辛いっぽい匂いがしているではないか。

この匂いからして、大汗は逃れ得まい。バカめ

タオルを取りに、車に戻る。

(なんか、長くなってしまったので、続きは明日。)

続きとおりすがりの辛いカレー屋さん 2の2




寒いとすぐに薪がなくなる。

寒い。

今年は、なんか寒い。

寒いので、とうとう薪が払底してしまった。

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何かの時代小説だったか、あまりに寒いので、自分が住んでいる家の板壁を、ひっぺがしては、囲炉裏にくべていた男のことを思い出すが、あの男は、あのあとどうしたのだろう。

とうとう、最後には、自分と囲炉裏だけ残るという話だったか、よく覚えていない。

薪ストーブ用の薪は、最低一年は乾燥させましょう。と言われるが、そもそも私は、そんな事をしたことがない。
倒した木や、もらった角材や、玉切りにしたままの太いやつを、とりあえずそのへんに転がしておく。

薪ストーブマニアは、冬のストーブを焚く時間のために、夏の暑いさなかでも、薪割りをいとわないと言われているが、ごめんだ。私はとてもそんな事はできない。

いや、気持ち的には、夏のうちに、働いておけば冬にラクなのは、わかるのだが、ここは南国鹿児島。

そんなに働いてどうする。

夏の気温30ドを超えるさなか、滝のように汗を流し、蚊に巻かれながら薪割りをする勇気はとんでもないことだ。
ただただ蛮勇であろう。

で、昼寝をしていると、あっという間に冬になるのだ。これが。鹿児島は。
今年なぞ、秋があったかどうか? 一週間くらいは、そんな気候もあったかもしれないが、暑い暑い、
と言ってると、急に寒い寒いとなるから不思議だ。

で、最初に戻るが、すぐにその日の薪がなくなる。

あわてて、そのへんに転がしておいた玉をとりあえず割ってみる。
まだ、芯が湿気っているので、もらった角材も割って足しにする。
焚きつけがないので、杉っ葉を拾いに行く。

そんな調子で、とりあえず、その日に焚く量の、コンテナ一個半分を確保する。

それから、これが、私のえらいところなのだが、その勢いで、少し、余るくらいの薪もついでに割っておく。

それを、今日は薪割りはできないな。という日の為の非常時用に少しずつためてひそかにとっておく。

実はこれを去年もやっておいたのだ。

そうやってためておいた薪を、今焚いている。

去年の一年間乾燥させた薪だ。

こうゆうのを、なんか、昔の自分に助けられるって、ゆうんですか、ああ、あの時、余分に薪割りした自分よありがとう。

と、しみじみ感謝するのである。

ばかくさい人生でも、そんな過去のりっぱな自分がひとときでもいたというありがたさよ。

まったくすばらしい。

猫のうんこを踏んで、あまりの足の裏の臭さに、激しく過去の自分をののしった今朝の私とはちょっと違う気分だ。