冬のバナナ

バナナが畑に成った。


温暖化のおかげなのかわからないが、5,6年前に植えたバナナの木に、2,3年前から実が成りだし、今年は丸々と太ったやつができた。

霜が降りる前に木から切って、室内につるしていたら、黄色くなってきて、食べると大変うまい。

今日は12月30日。

年末から年始にかけて雪の予報で、鹿児島でも積りそうで、冷え込んで来たのだか、自分ちの畑でできたバナナを食べている。

変な気分だ。

どど降りの雨がグランドキャニオンを作成。

今年もまたキチガイ雨が降った。

まだひどい被害がないのが救いだが、またかよ、とうんざりしている方も多いのではないだろうか。

ひどい被害ではないが、小さい被害はある。

うちは折角まいたタネが、どど降りで流されてしまい、台無しになった。

シソの小さくて軽いタネだったから、あまりの大粒の雨の攻撃にどどっと流されたのである。

もしタネがこれぐらい重かったら、流されずにすんだのだろうが、そのかわり畑のあちこちに、ミニグランドキャニオンが形成される。

おもしろいといえばまあどちらかといえばそうだが、やっぱりやさしい雨のほうが好きだ。

  

  

新型コロナのせいじゃないだろうけど、

いろんなものが壊れ始めた。
新型コロナで訳わからなくなっている世の中のことじゃなくて、
ごくごく内輪のうちの話だ。

まず、土砂降りの日に軽トラが止まった。
坂道を登ってストトンと、動かなくなった。
幸い車の少ない山道だったので、路肩に寄せて迎えにきてもらった。

次に冷蔵庫の製氷機ユニットが落ちてきた。
なんか箱ようのプラのカタマリが氷部屋にあるな、と思ったら、
製氷機をおさえていたツメが折れていて、ユニットが落ちてきている。
当然氷は、自動製氷できない。

次に、ガラス小屋のスポットクーラが、どがが!とひどい音を立て、
これはひょっとして?と見てみるとぶっ壊れていた。
ラジエターを冷やしているファンの羽が見事に3枚とも根本から折れている。

そして、最近暑いからクーラーテストしとかんと、と久しぶりに家のクーラーをつけたら、「?ぬるい?」ガスが抜けたらしく、涼風とは言い難い風しか出てこない。

これは最近と言っても、約一ヶ月ほど前から、次々と起こった不幸だ。
つまり、あの新型コロナで、自粛の真っ最中の出来事。
私も、展示会の予定が吹っ飛び、さまよえる自営業者の一角に身を置くことになった。

時間ができたので、これ幸いと、畑を10畝起こし、サトイモと、トマトとキュウリと
ナスとトウモロコシとエダマメとツルムラサキとショウガとダイコンとサツマイモを植え、それから木を切り、歯医者に行った。

これで少し元気が出たので、気を取り直し、いろんな壊れたものを直すことにとりかかった。
ものを直すのには気力がいるのだ。

とりあえずは、一番気力がいらない、人にお願いするメソッドをとり、
軽トラ修理をモータースに依頼する。

ダメなときは中古を買うしかないか、と半分あきらめつつ。

ところが、なんと、ディストリビュータのパッキンが古くて水が侵入したらしく、
交換したら、あっさりエンジンがかかったとモータースさん。

いや助かりました。

さすがプロである。

さて次は、ブラブラしてる製氷機ユニットをなんとかせねば。
これは電気屋に言っても、新品を買えと言われるだろうから自分でなんとかせねば。
なんせ新型コロナでうちは緊縮財政なのである。

  つづく。

 

冬のトマト

リトルガーデン ミニトマト

なんだか、文学的なタイトルになってしまったが。

12月だというのに梅雨どきのような雨が降り、気分も文学的なのである。
そして今年は暖かくて、もう12月だというのに、まだトマトが採れるのだ。

夏に植えたのに、いまだに茎も葉っぱも青々として元気だ。むしろ、夏より元気かもしれない。

同じ時期に植えた、野菜たちはとっくに枯れたのに。

きゅうりは、台風でやられて、早々と枯れた。
ナスは草に負けて駄目になった。
サトイモと、サツマイモは掘り上げて収穫が済んだ。

それなのにトマトは未だ現役なのだ。

植えてから、もう半年に近くなる

どうやら、新芽を摘むのをやめて、地這い状態(つまり、ほったらかし。)
にしたのがよかったらしい。

支えて立ててる時は、実もあまりできなかったのに、地這いにしてから、どんどん出来だした。

トマトは難しい野菜だと、思い込んでいたが、これならうちの畑でも大丈夫かもしれない。

来年が楽しみだ。

いや、今のトマト、ひょっとしたら、年を越すかもしれない。

もとはとったか?

このところミニトマトが豊作で、幸せである。

毎日、ガラスボウル一杯の収穫があるので、不安定な自由業の身としては、この安定ぶりがうれしい。

もとはといえば、ホムセンで、しなびていた苗を10円で買ったやつだから、すでに十分元はとった。

というか、元をとった、などと浅はかに喜ぶ人間の叡智?など、はるかに越えて、実はなり続けるのであった。