今日からGO TO トラベル。何処へ行けと言うのかね?

バカも休み休み言え。

この状態で、どこに行くのだ?

熊本県人吉市九日町商店街

先週、人吉市に行ってきたが、想像以上のひどさだった。

特に商店街とその周辺がひどい。

二階まで水が来て、一階は天井まで浸水したのだ。

浸水というと、水の字がついているから、きれいな感じがするが、水ではなく、泥である。浸泥というのが現状を表すのに正しい言葉だろう

人吉市商店街が浸泥。

 

球磨川を渡る大橋に行く手前の歩道。

天井まで泥が来たのだから、全てのものが泥まみれである。
しかも、粒子の細かい、泥漿のような泥。乾いて固まれば、コンクリートのようになるという。

えびす神社の鳥居。小さな鳥居ではあるがひどいありさまだ。
ここまで泥が来たのだ。
全てが泥、泥、泥。
中洲のトイレ。屋根瓦が無い。

この状態で観光旅行に行け?

笑わせるな。

ちなみに人吉も観光地だ。無神経もたいがいにしろ。

震災の原発瓦礫を全国にばらまき始めた頃から、この国は、利権で動く事を恥とも思わず、堂々と開き直り始めたが、今回のコロナからここまでの一連の状態を見ていると、もはや既に開き直りは常軌を逸し、自らをじわじわと腐らせ始め、利権で動くどころか、利権でがんじがらめで修正不可能の糞詰まりのドンゴロス状態になってしまっていたのだとわかる。

今日2020年7月22日は、この国が腐敗の最高段階に進み、もはやこれまで。
あとは崩れてチリになり、風に飛ばされる状態に移行した記念日となるだろう。

奇しくも、予定なら今頃オリンピックが始まっていた頃だ。

とにかく人吉市、および球磨川流域は、甚大な被害を受けた。

立ち直るのには、膨大な時間と労苦がいるだろう。

人吉名物、温泉も、球磨焼酎も、うなぎ屋もひどいありさまだ。
とりあえず、魚座民藝店の店主さんは大丈夫だが。

被害の有様が、新聞各社に掲載されていたので、一部抜粋しておく。

あゆの里近くの駐車場はボランティアの災害ごみ集積所になっている。

(西日本新聞7月15日)
このままでは街がなくなってしまう-。熊本県南部を中心に襲った豪雨は、球磨川に近い人吉市の中心商店街を一変させた。濁流は店や旅館のガラス戸を打ち破り、商品や棚を泥と水でくまなく覆った。創業60年の地場スーパー「イスミ」の会長、岡本光雄さん(73)は「商店街は壊滅的な状況。営業を諦める店も出るだろう。早く具体的な支援策の情報がほしい」と訴えた

4日午後6時ごろ、水が引いたのを見計らい、岡本さんはぬかるみに足をとられながら商店街を歩いた。甚大な被害にがくぜんとし、「店主のみなさんは立ち直れるだろうか」と不安を覚えた。

イスミ本店(同市九日町)に従業員用の出入り口から入ると、店内は停電で真っ暗。肉や魚のパック、野菜、総菜などが床にたまった泥に埋まり、商品棚は傾いていた。地下への階段は泥にまみれた商品や買い物かごなどが散乱。手が付けられない状態で、その日は何もできなかった。

旬の生鮮品や総菜が並び、従業員と買い物客らが当たり前に会話する老舗スーパーの日常は、予告なく奪われた。被害額は、在庫の廃棄だけで1500万円に上る見込みだ。「何とかして営業再開にたどり着きたいが、いつになるか…」

同市五日町にある創業百年の「山田折箱店」も、店の1階やプラスチック容器などの在庫が全て水に漬かった。3代目の山田泰久さん(67)は「木箱からプラスチックに需要が移り、今では仕入れ業が中心で、もともと厳しい状況だった。こんな状況ではとても再開は考えられない」と廃業を口にした。

同市紺屋町でバー「シシリアン」を経営する中村久典さん(52)は「飲食店が多い商店街だが、半分近く廃業すると聞く。ビルもいくつか取り壊しが決まったようだ」と心配顔。ただ、「再開の見当もつかないが、自分は必ずこの場所で再開したい」と力を込めた。

球磨川沿いにある温泉旅館「清流山水花あゆの里」では14日、泉源に流れ込んだ土砂を取り除き、湯が再び湧き出した。女将[おかみ]の有村政代さん(69)は「温泉は旅館の命。光が差したようで、とにかくほっとした」と顔をほころばせる。

それでも、豪華なラウンジやバー、ロビーや売店があった1階は全壊。「全面復旧はまだ先だが、少しずつ再開させていきたい」

西日本新聞社

(朝日新聞7月12日)
水が引き始めた午後3時ごろ、1階に下りると、たれが入った鍋はひっくり返り、中身が流れ出して空っぽになっていた。水槽を泳いでいた約200匹のうなぎは大半が逃げたり死んだりし、残っていたのは3匹だけだった。

上村さんの夫で、3代目店主の由紀穂(ゆきほ)さん(70)は家の浸水で店にたどり着けなかった。店内を見たのは5日昼。「涙も出ない、言葉も出ない。笑うしかなかった」

店は由紀穂さんの祖父が1908年に始めた。午前7時に店に入り、仕込む。毎日200匹のうなぎをさばき、昼には恵子さんの手作り弁当を2人で食べるのが数十年来の日課だった。

たれは祖父の代から受け継がれた店の宝。鹿児島や宮崎産のうなぎを炭火でじっくり焼き上げ、仕上げにさっと塗ることで、甘じょっぱい味になる。地元客や観光客に人気だった。

朝日新聞社

(毎日新聞7月21日)

九州豪雨で甚大な被害を受けた熊本県南部、球磨(くま)地方の特産品・球磨焼酎の蔵元の一つ「渕田酒造場」(人吉市)が、存続の危機にさらされている。約140年前に建てられた母屋をはじめ、製造施設が球磨川の氾濫で全て浸水。被害額は数億円とみられ、新型コロナウイルスで打撃を受けた老舗の経営にさらにのしかかる。次世代を担う蔵人(くらびと)の渕田将(しょう)さん(25)は、打ちひしがれながらも「伝統を絶やすわけにはいかない」と決意を固め、5代目社長の父将義さん(63)と再建に奔走する。

人吉市全域が戦場となった西南戦争(1877年)翌年の創業。格子が趣深い町家造りの母屋と球磨川の距離は200メートル足らずで、4日早朝に氾濫が始まると、浸水はあっという間だった。将さん一家は決算書やパソコンを母屋の上部に移動させたが、迫る水に危険を感じ、道向かいの3階建ての自宅へ避難し、そこから母屋などがのみ込まれる様子を目の当たりにした。

幸い5人の社員は全員無事だったが、約3メートル水につかった母屋は泥だらけに。焼酎を寝かせる貯蔵タンクも約20本なぎ倒されていた。中身の状態はまだ確認できていないが、将さんは「多分だめだろう。これで売り物がなくなったとがっくりしました」と語る。

(毎日新聞社)

    

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