カメラの違いは腕の違いか?

DM用の写真を撮るとき、失敗を恐れて何種類かのカメラで撮るのだが、最後にどの写真がいいか、と選ぶと、古いニコンのD200にニッコールレンズをつけた写真を選ぶ事が多い。

露出もピントも全てマニュアルなのだが、写真に何か味がある、のだ。

このカメラとレンズの、控えめな色の表現を見てしまうと、最近のデジカメが、実に上手いこと綺麗に見えるようにデジタル処理をしているのだな、とわかる。

一枚だけ見ると判らないのだが、比べると、あざとく、と言っていい程、綺麗な写真になるように処理されているのがわかる。

次の写真を見て頂ければ、判ると思う。

「まるいち」

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「まるに」

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わかっていただけただろうか?

まるいち。のほうが、最近のデジカメで、まるに。のほうが、古いニコンと、ニッコールレンズの写真である。

まるいち。のほうが全体に、パキッ!と写っているのに比べ、まるに。のほうは、ボケ味があるのがわかる。

特に、ボトルの影の部分を見るとよくわかる。

あんましハッキリしないほうがいい事もあるのだ。

広島風お好み焼き伝統的作り方

広島と言えば、広島風お好み焼きであります。

広島市内に出かけた時、よさげなお店を見つけたので、入ってみましたら、広島風お好み焼き40年のおばちゃんが、一人で切り盛りしてるという私にとっては理想的なお店でした。

厚さ2センチ以上はあるという分厚く、でっかい鉄板がお店のど真ん中にどーんとあり、お客はその前に座ります。

夏なので、鉄板の前は暑いですが、クーラーがガンガン効いており、冷たいおひやもたっぷりあります。

 

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広島風お好み焼きは、具がたっぷりとあるのが特徴ですが、具を焼く順番が諸説あります。

まず生地を焼くのは当然ですが、その後、キャベツを焼いたり、ソバを焼いたりといろいろ。

 

このお店のおばちゃんは焼きそばからでした。

「ずっとこのやり方でやってるからね〜どうしていうことじゃないんよ。」

とおっしゃっていました。

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ソースを少しかけて、鉄板の上で軽くほぐしてから、生地の上に乗せます。

その上に、軽く炒めたキャベツをのせ、イカフライをちぎってのせます。イカフライはビールのつまみにしたりする、あの駄菓子のイカフライですね。

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更にモヤシをのせ、ネギをのせていきます。

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その上に、あげ玉を投入。
以前に我が家であげ玉が見つからず、天カスでやった事がありましたが、やはり大きめのあげ玉のほうが美味しくできるようです。

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そして、ブタの三枚肉をのせ、

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生地を少しかけてからひっくり返します。

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さて、ここからは動画でご覧ください。

広島風お好み焼きの、流派争いの一つに、「生地をぎゅうぎゅう押しながら焼くか派か?」それとも、「あまり押さずにふわっと焼くか派か?」というのがありますが、おばちゃんは、ぎゅうぎゅう派でした。

ぎゅうぎゅう押すと、水分が抜けてパリッと焼けるので、私は好みです。

最終段階です。

卵を投入。

卵が焼けたらひっくり返して、

最後にオタフクソースと、魚の粉と青のりをたっぷりとかけて、

「はいどうぞー」

おばちゃんのぎゅうぎゅう押しがよくわかりますね。

おいしそう~

いただきます!

 

あ、そうそう。

この小さなコテで、一口サイズに切ってコテに乗せてはふはふ言いながらいただきます。

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美味しい〜

どこもかしこも雨

広島に来ている。

鹿児島も雨だったが、広島も雨である。

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今年は本当に雨が多い。

台風11号がフラフラしていてまだしばらくは、こんな天気が続きそうだ。

 

うっとうしい気分を吹き飛ばすのは、やはりこんなガラスの器が一番である。

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だれが作ったのだろう・・・おや!森永豊だ。

だからどうした、という事で、くだらない宣伝になってしまった。

ネット環境が使えるので、暇つぶしである。

ネットとパソコンがあると、出先でも事務仕事ができて便利だが、暇つぶししてる方が多い気もする。

そうゆう事で、連絡のある方はこちらにお願いします。

スモール イズ ビューティフル を読むと。

スモール イズ ビューティフルを読むと、たちどころに眠たくなってしまう。

仙台の行き帰りの待ち時間に、読破しようと、デイパックに入れて行ったのだが、2,3分も読むと、ものすごく眠くなり、はっと気付くと寝ている。

熟睡して、ヒコーキが飛んでしまっては、パーなので、読みたくてもあまり読めなかった。

いや、なんかいい事言ってるなーと思うのだが、いかんせん、翻訳文独特の伝わりにくさと、もともとの、ちょっと回り道して説明するような文体が、たまらなく至福の眠気を誘う。

 

しかし!その中で、我が意を得たり!という箇所をちょっと抜粋してみる。

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「したがって、現代技術は、人間が楽しんでする仕事、頭と手を使っての創造的で有益な仕事を奪い、代りにみんながいやがるコマ切れの仕事をたくさん作り出したと言って良い。」

「・・・人が仕事に費やす時間からすべての人間的な喜びや満足感が失われてしまうという事が起こった。現場での生産のほとんどが、人間を豊かにするどころか貧しくする、非人間的な雑用になってしまった。」

「実のある仕事が人をすこやかにする力、教育する力を考えてみてほしい。・・・今日ではなかなか手が届かない特権、つまり頭と手を使って、好きなときに自分のペースで、性能のよい道具を使って役に立つ創造的な仕事をする機会を、だれもが手に入れることになるだろう。」

E・F・シューマッハー スモールイズビューティフルより、抜粋

 

以上、3箇所を抜粋してみたが。

 

出版がなんと、1971年。この本は世界のベストセラーになり、シューマッハーは現代の預言者になった。らしい。

どれだけの人がこの本を手にしたかは判らないが、多分、多くの人が眠たくなったかもしれないが、石油危機と、増殖する現代文明の不気味さに、感づき、救いと回答を求めて、この本を手にしたのだろうと推察される。

 

そしてシューマッハーは、その答えに、手仕事の重要性を用意していたのだ。

一人の人間が、自分の手をもって、完成させる、一つの手仕事。

その満足感と、幸福感を救いとし、回答としたのはまさに慧眼という他はない。

 

しかしながら、1971年からもう2014年となり、回答はあるのに未だ救いは得られず、我々はますます混迷の泥沼にはまっていくようである。

これは、化石燃料を始めとする地球資源を簒奪することでしか、経済を進めて来れなかった人類の、根本的な愚かさゆえであろう。

 

この本は「経済学」に対して、その根本的な愚かさを主題としているようなのだが、私は、そこのところをもっと深く、読み込もうとすると眠くなってしまうので、「経済」、のところがよくわからない。

ただ、思うに、「経済」、を、発展するもの、右肩上がりのもの、とする設定は、元が間違ってると思う。

 

生まれ、成長し、やがて衰え、死んでいくのが生命だ。

そこに、繁栄し続ける事を理想とした「経済」、を植え付け、あたかも不老不死のごとく見せようとすることは、どだい矛盾のカタマリなのだ。

そうゆう事をシューマッハーは多分この本で言いたかったのだろう、と思うが、更に読み込もうとすると、眠くなってたまらない。

しばらく、私の枕元の座右の書となりそうである。

 

 

 

 

 

 

 

岸田劉生の麗子像をぼんやり眺めていて気付いた。

これは愛だったんだな、と。

グロテスクだの、気持ち悪いだのと、言われがちな麗子像だけど、子供って、可愛いだけではなくて、こんな人間以前の本能をさらけ出す生き物だ。

それを誤魔化さず、正面から向き合って誠心誠意、表現したところが麗子像のすごさなんだ。

最近では奈良美智さんが描いている上目使いに睨みつけるような可愛さだけではない、こどもの本質をとらえた表現をされているのと、同じような苦しく、シビアな表現だと思う。

子供の本質を誤魔化さず、描ききることは大変苦しい作業だっただろうと想像する。

それも、愛があったからこそ描けたのだろう。

 

と、子供をもってみて初めてわかる麗子像であった。

 

子供が地球上最悪の生物であることの35の理由