運動会は明るい不思議な大宴会。

小さな学校に子供達を通わせているので、運動会となると大変である。

 

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全校生徒19人で、地域の運動会もいっしょにやるから、親も子もほぼ出ずっぱりで、動き回る。

 

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去年私は運動不足がたたり、運動会のあと、ものすごい筋肉痛で3,4日使い物にならなかった。
ので、今年は、少し走りこんでから参加したが、やはりまだ筋肉痛が治らない。

小さな山の中の小学校だから、運動会はまるで宴会のようで、眺めていると、「お伽話の主人公になったような気がしてくる。」

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とは太宰治のセリフで、私はいつもこの運動会を見ると、太宰治のもう一つの特質である、明るい諧謔の語り口、の大名作「津軽」の最後のシーンが頭の中を巡る。

・・・・・「その学校の裏に廻ってみて、私は、呆然とした。こんな気持をこそ、夢見るような気持ちというのであろう。本州の北端の漁村で、昔と少しも変わらぬ悲しい程美しく賑やかな祭礼が、いま目の前で行われているのだ。まず、万国旗。着飾った娘たち。あちこちに白昼の酔っぱらい。そうして運動場の周囲には、百に近い掛け小屋がぎっしりと立ち並び、いや、運動場の周囲だけでは場所が足りなくなったと見えて、運動場を見下ろせる小高い丘の上にまでムシロで一つ一つきちんとかこんだ小屋を立て、そうしていまはお昼の休憩時間らしく、その百軒の小さい家のお座敷に、それぞれの家族が重箱をひろげ、大人は酒を飲み、子供と女は、ごはん食べながら、大陽気で語り合っているのである。 ・・・・・・
・・・海を越え山を越え、母を捜して三千里歩いて、行き着いた国の果の砂丘の上に、華麗なお神楽が催されていたというようなお伽話の主人公に私はなったような気がした。」

太宰治  「津軽」 より。

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