今日はとうとう小屋の東側の出窓の窓が落ちた。
バッシャーン!と、音がしたのだが、
「またサオモトのガラスがはねたか」
とあまり気にしないでいて、しばらくしてふと外を見るとガラス窓が落ちている。
古いすりガラスが見事に割れていた。
出窓の下のほうが下がってきて、窓枠がガバガバになっていたのでとうとう外れたらしい。
親父がそれを見て一言。
「寿命じゃが」
合掌。
おんぼろ小屋で今日もコップを吹いている。
今日はとうとう小屋の東側の出窓の窓が落ちた。
バッシャーン!と、音がしたのだが、
「またサオモトのガラスがはねたか」
とあまり気にしないでいて、しばらくしてふと外を見るとガラス窓が落ちている。
古いすりガラスが見事に割れていた。
出窓の下のほうが下がってきて、窓枠がガバガバになっていたのでとうとう外れたらしい。
親父がそれを見て一言。
「寿命じゃが」
合掌。
また嵐の春の一日。
今年はこんな日がとても多い。
ガラスの写真を撮る時、オートフォーカスだとピントが合いにくい話を書いたが、結局どうやってピントを合わせたかというと、ピントを合わせたい所に、そのへんに転がっていた紅茶の空き箱を置いて、ラベルの文字をカメラに認識させ、ピントを合わせる。そしてセルフタイマーにしておいてシャッターを切り、セルタイマーが落ちるまでの間に、紅茶の空き箱をとって写真を撮る。
というめんどくさい方法でDMの写真撮りをしたのである。
数枚撮るたびにパソコンでちゃんとピントが合っているか確認しつつやったので、半日で済ませるつもりが一日仕事になってしまった。
ガラス炉には火が入ったままなので、ムダなことをしてしまった。と、かっくりくる。
「やっぱり一眼レフがいるかなー。でも金ねーし」と、何度めかのため息をつきつつ、ぼんやり考えていたら、ふと思いついた!
「ニコンの一眼レフカメラなら、昔のレンズが使えるんじゃないか?」
つまり、こうゆうことだ。
「今のニコンのデジタル一眼レフカメラのボディだけ、中古で買って、レンズは自分が昔から持っているフイルム一眼レフカメラのものをつけたらいいではないか!
ニコンがデジタルの波ニモマケズ、不動のFマウントのままであれば、デジカメにフイルムカメラのレンズが付くはずである!」
そして、
多分、今のデジカメはコンパクトデジカメが主流で、一眼レフカメラはあまり人気がない。人気はないが、技術はどんどん進んでいるので、各会社とも競って新製品を出している。ニコンの型番がどれが何なのか分からんほど、ごちゃごちゃ出てるのがその証拠だ。
どんどん新製品を出すということは、スペックの高かった新製品がすぐに型落ちになり、陳腐化するということである。
陳腐化するということは、中古品が安く出まわっている筈だ。
たとえ型落ちとはいえ今のデジタル一眼レフの性能ならば、家でDM用の写真を撮るくらいなら必要にして十分なスペックであろう。
と、ここまで思いつきグーグル君に聞いてみると。
さすが、ニコン。
不動のFマウントは今だ不動。
ユーザーがどんだけ、「あなたについていきます!」と言うだろう、ってことですな。これが企業倫理ってものだ。
うそとごまかししかやらないどっかの電力会社はぜひ見習っていただきたいもんだ。
まあ膨大なニッコールレンズのコレクションユーザーがいた訳で、デジカメになったとたんにその財産がゴミ箱行き。ならどんだけ怒るか?というのもあるけど、そのレンズがたとえオートフォーカスや、自動露出はできなくとも、最新のデジタル一眼レフにぴったり入れ込むことができるちゅうのはいい話だ。
ピントはファインダーで合わせればいいし、露出は大体経験でわかっているし、シビアに測るのならもう一台のデジカメで、露出を測ればいいのだからノープロブレム。
ま、以上の視点でデジタル一眼レフカメラ中古市場をみてみると、まさに宝の山。
ざっくざっくですな。
2,3万出せば型落ちの20万スペック品があることあること。
もうどれがどう違うのか訳がわからん。
あとはあこがれのRAW現像ができたらよし。
あったかくなると、やることが色々多くなって大変忙しい。
ただでさえ、ガラスは暖かくなるとよく出る性質を持つので暖かくなると忙しくなるのだが、暖かくなると草は生えるし、苗は植えないといけないし、コタツは片付けないといけないし、と大変忙しくなる。
今日はDM用の写真を撮ろうとしたら、ピントが全然合ってなくてがく然とする。
今のカメラはオートフォーカスが当たり前というか、マニュアルでピントを合わせる機能がついていないのが当たり前だ。
このオートフォーカスでガラスにピントを合わせようとすると、ガラスは透明なせいか、カメラがどこにピントを合わせたらいいか戸惑うようで、あらぬところにピントがあって、肝心な物にピントが合わないのである。
やっぱり一眼レフカメラじゃないといけんのかな。
性格というものはつくづく仕事場にも現れるものだ。と今回つくづくと思ったことである。
鹿児島で個人でガラス工房をやっている人たちのビデオをDVDに焼く作業をしていてやっぱりつくづく思ったのである。
出来上がった作品にも当然その人となりが現れるのだが、その作品を生み出す工房にも個性が現れているのだ。
そして、それぞれの工房にはそれぞれにガラスの神様がいらっしゃる。
夜中にガラス工房にいると本当にそう思う。
神様もいろんな性格なのだろうと思う。
(吹きガラス製作中のこのDVDは和紙ギャラリーで開催中の鹿児島のガラス作家五人展で見ることができます。見たい作家をリクエストして見ることも可、ですのでスタッフの方にお声をかけて下さい。)
NEWS! 鹿児島ガラス作家5人展、開催中。4月14日(日曜日)までです。お早めにどうぞ。
(ガラス工房 ウェルハンズ)
ただいま鹿児島のガラス作家展を和紙ギャラリーさんでやっています。
どうして私がこの展示会をやりたいと思ったのか?そのきっかけですが、とにかく個性が違いすぎる、そしてその個性が作品に見事に反映されているのが面白かったからです。
こんだけ個性が違えば、来る人たちもきっと楽しんでもらえると思ったのです。
来る人達もまたいろんな人がいるのですから、誰が来ても楽しい展示会になる、と思ったのです。
たいがい、同業者という関係は、相手をけなしたり、仲のいい人たちはいいのですが、日頃ゆききのない関係だと変に嫉妬したり、となかなかむずかしいのですが、吹きガラスの作家達はお互い、工房の維持費など大変なことはわかっているので、同病相憐れむ。みたいなところで、仲がいいです。
それでも、いっしょに展示会すると「あいつのは売れたのに俺のを買わなかった」などと鹿児島弁で「ショノム」ことになる、のが問題なのですが、
その問題もこんだけ個性が違えば「気に菜良な〜い!」のです。
「ああ、好みの違いだね」でOKです。
ほんとに。
まあ、見て下さい。
わかると思います。
平泉 夫妻作。
井手さん作。
宮澤氏作。
会場全景。
ま、百聞は一見に如かず。ってことですね。
カモーン、えびバリ!
このところ鹿児島のガラス作家展の準備でいろいろやり慣れないことをやって肩がこる。
吹きガラスの制作中のビデオを編集してDVDに焼こうとしたら以前やったことなのに全くやり方を忘れていて思い出すのに二時間ぐらいかかってしまう。
パソコンの手順ちゅうものは、やってるうちに何とかなるものだが、その時はできてホッとしても後で、も一回やろうとしたら絶望的に何も思い出せない。
指先と目を使うだけで仕事を済ませるパソコン仕事と、体全体と頭脳を使って仕事する肉体労働の職人的仕事とは決定的な違いがあると思うのだが、ありていに言ってしまえばパソコン仕事は記憶に残りにくく薄い記憶のような感じがする。
それに比べて、体を使った仕事というものは深いところに落ち着き、何か同じ仕事があればまた思い出せる記憶の階層に記憶されるのではないのだろうか?
去年キオビエダシャクにやられた一ツ葉の木をとうとう引っこ抜く。
それにしてもこのユンボの大きさと小屋の大きさが似てるぐらいなのがおかしい。
うちのガラス小屋は独特なサイズで、大工のH打君が「いい高さですねー」と感心していたかわいいサイズなのだ。
ユンボに小屋をぶっ壊されないか心配で今日は全く仕事にならなかった。
「桜の花が咲く頃にしようか?」
と始めた5人展ですが、いつの間にか5年めとなりました。
毎年桜がもう咲くのではないか?とやきもきしますが、今年は急に暖かくなったので、すでに桜の勝ちのようです。
しかし、ガラスのほうは今年も強烈なメンツがいつものように揃います。
毎年、どうしてこんなに違うのか?
というくらい、個性の違いのはっきりわかる展示会ですが、おそらく今年もそのようだろうと思います。
今年は5周年なので、ランチセットにガラスの器を使ったり、抹茶をガラスの器でいただいたりと、ちょっとした企画を考えております。
3月31日からです。まだこれから準備しないといけないことが山のようにあるのですが、間に合うのでしょうか?
ぎりぎりパワーでがんばります。
このところ泡ガラスをずっと作っている。
作っていて泡生地の以外な利点に今更ながら気がついた。
相変わらず窯は不調で、温度が上がらないのだが、泡にすると温度が上がらないほうが都合がいいのである。
泡生地にするとガラス生地が柔らかくなる。パンといっしょで泡がいっぱい入るとやわらかくなるので、低い温度でも成形しやすいのだ。
成形中に硬くなった作品をあぶり直すのにも、ふつうの透明なガラス生地に比べて、すぐに柔らかくなる感じがする。
アフガニスタンのヘラートというところで、薪をくべながら泡だらけのコップを作っているのを昔テレビで見たことがあるが、あれは温度の低い窯で、ガラスを作る合理的な方法だったのだ。
ビンなどの再生ガラスを使って吹きガラスを作る時も泡生地にすることが多いのも同じ理由であろう。
さらに泡生地には不純物が入っていてもあまり目立たない。ポンテ離れがいい。などけっこういいところがあるのだ。
ただ泡生地のめんどうなところは、時間とともに泡がどんどん抜けていくので、同じ調子の作品を揃えるのがむずかしい。
また、泡が抜けきった生地は気の抜けた炭酸水のようで面白くなくなる。なので泡が抜けたらまた重曹を入れて泡生地を作りなおさないといけないところが面倒くさい。
ルツボを2つとも泡生地にして、時間差で泡を作っておき、一方の泡が抜けたら、もう一方のルツボの泡生地を巻く、という時間差攻撃で作ったこともあるが、生地がなくなるまでずっと働き続けなくてはならなくて、このやり方を発明した自分を自分でうらみながら作ったこともあった。