やっぱり今年も暑い。2015年・だから水風呂

今年はちょっと涼しいかも?

とちょっと喜んでいたら、さにあらず。

やっぱり暑い。

こういう仕事をしているから暑いのには慣れているだろう、と思われるのだが、
とんでもございません。

私、暑い所には一秒たりともいたくないのです。

毎年の事だが、もう暑いのはいい加減にしてくれ!

と、言いたくなる分水嶺が今のこの時期あたりだろう。

この時期が遅いほど夏に勝った気がするので、毎年、いい加減暑いのは飽きた宣言、はなるべく、引き延ばすようにしている。

のだが、今年はもう来た。

盆前なのに。

どうやら調子にのって、流した汗の量の分水嶺をいつの間にかすでにうっかり越えてしまったらしい。

あとはもう、流す汗に貴重なミネラル分がとも流れしないよな汗のかきかたを体調で調節しながら秋口を待つ。

しかないのだが、

もういかん。

ので、

これはもう水風呂にどっぽりと入るしか救いはない。

こんな暑い中ガラス小屋の中は地獄で当たり前

「くっそー!暑い、熱い!」と

汗を吹き飛ばしながらコップを作っていると、
後ろから声が、
「そんなに暑いんなら、サラリーマンとかなればよかったじゃん」

びっくりしたが、夏休み中の下の娘がいつの間にか背後にいたらしい。

「シャツ着てクーラーとかつけて」

ごもっともだが、「そんならお前がなればいいじゃん」と言ったら、

「いやだ」

「なんで?」

「なんとなく」

たしかにまあなんとなくごもっともではある。

しゃべりながらであったが、かっこ良くコップの口を仕上げに広げようとしたら、

あぶり方が足らず失敗。

「失敗だね」

と一言、

去ってゆく。

後ろからえらそうにゆうーな!

と言おうとしたが、もうそのへんにいない。

 

只今北海道釧路で展示会中です。

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そろそろ梅雨明けかな。2015年

台風がいきなり9,10,11と発生して、波乱の夏がやって来そうだ。

台風が梅雨前線を押し上げたのか、ここ2,3日晴れて久しぶりに太陽が光っていて気持ちいい。

これで梅雨明け、と言う事にしとこう。気象庁はぐずぐずと梅雨明け発表をしないかもしれないから、とっとと梅雨明け、にしといたほうがいいのだ。自分的には何かと。

今日は明日から始まる人吉の魚座民芸店での個展の搬入。

(魚座さんの個展の葉書です。)

久しぶりにガラス炉の前を離れる。

なにせ晴れたとたんに窯の前は朝から軽く40度超えで、熱中症になりそうだったので、クーラーの効いた車の中は天国のようだ。

あまりの居心地のよさに、窯の前に再び立てるか自信がなくなる。

このままどこか遠くに行ってしまいたい。

札束という漢字が書けない。

某月某日。

「札束」という漢字を書こうとしたが、どうしても思い出せない。

近くにパソコンもなく、携帯もなかったので、変換もできない。

ムリに書こうとすると「差冊」とか、ぐらいしか思い浮かんで来ない。

脳が劣化しているのだからムリも無い、とあきらめもつくが、せめて「お札」ぐらいは、変換機械なしに、意地でも書こうとしたが、「札」さえも思い出せず、「冊」しか出てこなくて、完敗。

今年の梅雨は長いのか? 2015年

7月になってそろそろ梅雨も明けていいのでは、と思うが、今日も重たい雨が降っている。

毎年、梅雨って一ケ月あったっけ?

と思うが、今年は梅雨の晴れ間というのがほとんどなく、日差しが照ったのは2、3日だったから、とにかく長く感じる。
梅雨入りが6月2日だったから、丁度一月たった訳だ。

今日は梅雨前線の北側に入っていて肌寒いくらいで、吹きガラスをやるのには都合がいいのだが、仕事の後、水風呂に入るのにはちょっと寒い。

そうゆう事で、梅雨明けが待ち遠しくて、気象庁の過去の梅雨の記録を見てみたが、南九州の梅雨明けの平均は7月14日で、まだまだのようである。

来週あたり明けるのではないかと、私は思うのだが。なにせもう十分降った。

 

  
tuyu201572

ちなみに梅雨の記録は、気象庁ホームページ>各種データー・資料>過去の梅雨入りと梅雨明け、で見ました。

人吉の魚座さんに行く。

水がぬるんでくるとガラスも動き出すようで、今日は人吉の魚座さんにガラスの蓋物を納めに行く。
先代の墓参も兼ねて。

今日はなんか春霞みにくすんだ日で、日差しは春っぽいのに、気温は低く、ちょっと肌寒い。
こんな日は家々がみんな眠っているみたいだ。

お昼ごはんに、宮之城の「元気屋はらぐち」さんで、おにぎりと、おかずを仕入れて車中食。
おにぎりもお惣菜も、小さめなので、車中でつまみながら行くのに食べやすくて良い。

ついでに魚座さんの手土産に唐揚げを包んでもらう。

近ごろのちょっと民芸ブームで、魚座さんもブルータス系の「カーサ」という雑誌に載ったとか、それから夏の私の個展についての話し合い。

人吉は面白い街で、日帰りでいろんな楽しみ方が出来る。

民芸コースとしては、人吉魚座民芸店、上村うなぎ、手打ちソバ、鍛冶屋。

アウトドアコースは、川下りかラフティング、滝見物、キジ料理。

伝統コースは、温泉めぐりと幽霊寺。

あと、これは泊りで(酔っ払うので)、人吉球磨焼酎、蔵元めぐり。

とか、いろいろ楽しめる。

最近の私の日帰りコースは、魚座民芸店、鍛冶屋、お墓参り、古着屋のパターン。

よそに出かけた時には、コンビニが少なくて個人商店の比率が多い街ほど、お出かけ満足度が高い。

その点人吉は満足度がとても高い。

最近ちょっと商店街がすいてきたのが気がかりだが、まだまだ面白い街だと思う。

まだまだ寒いようなので薪ストーブの火をお楽しみ下さい。 Enjoy the fire of the firewood stove.

Are you still colder?Enjoy the fire of the firewood stove.Named "Heat Chopper!"

 2015220a

まだまだ寒いですね。

炎好きとしては嬉しい限りですが、うちの娘たちは夏好きなので、「早く暖かく(暑く?)なーれ!」とうるさいです。

どうせ、冷たいアイスをほしいままに食べるのを楽しみにしているに過ぎません。

まあ、ビールも夏のほうがおいしいですがね。

という事で、ウチの薪ストーブ、ヒートチョッパー君の炎動画を撮りましたので、見てやって下さい。
寒い夜用です。

約、一分間の暖かさです。マッチよりは長いです。

ちなみに、火をいじっている火かき棒は、大変便利なもので、これは火バサミよりもずっと使いやすいです。
北海道では「デレキ」と言うそうです。さすが本場ですね。鹿児島では見た事もありませんでした。

簡単に作れそうなので6ミリの鉄棒で自作しました。
先端をL字に曲げて尖らせ、取っ手にはまる部分も尖らせておいてから、バーナーやガスコンロで真っ赤にあぶっておいて木の取っ手に差し込んで、はめ込みます。
取っ手は山桜の木の枝です。山桜の木は皮がはがれないから良いのです。

It's still cold.Because is glad for a flame enthusiast(Pyromania), but our daughters like in the summer; "May warm! earlier" (or hotly!)
They are look forward to cold icecream anyway.
As for the beer, more delicious in the summer anyway.
So watch a video clip for cold night my firewood stove name is the "Heat Chopper "

It is about warmth of one minute. But it is longer than the match.

天神さまの梅も咲き出して忙しくなりそうな

東郷町という所に藤川天神という菅原道真公ゆかりの神社があり、毎年今頃、学校の行事で一山越えて歩いてお参りに行く。

お参りというかほとんど山登りだが。

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一山越えると、そこからは天神さまの梅の林まで、そろそろ咲き始めた車道沿いの梅の木を見ながら、のどかなハイキングである。

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梅が咲き出すともうすぐ春という事で、今年の薪ストーブ生活ともおさらばなので、今の内、丁度いい状態に乾燥した薪を優先して燃やさないといけないし、燃やしすぎると薪が足りなくなってあわてて薪割りしないといけないしでけっこう調節がむずかしい。

もっとも吹きガラス炉でも薪を焚くので、そっちで焚く薪の準備もしとかないといけない。
ガラス炉で燃やす薪は杉や、松などの油分の多い木。

薪ストーブで燃やす薪は、山桜や、樫などの、燃やすといい匂いのする木、と一応区別している。
 
あと大量にある廃材。

これもマキ風呂用と、資材用に仕分けしとかないといけない。

そして、焚き口に入らないほど大きな、割りずらい木や、根っこなどは穴を掘って燃やす。
あとで土をかけて熾炭を作るのだ。

その間、無駄には過ごせないので、ロケットストーブ燃焼の実験を露天でしつつ。

なんか忙しいな。

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人が死んでしまうという事は

近ごろ私の知人が死んでしまう事が重なりいつもは死の事など考えもしないのだがこのところ頭の隅に死がすみついている。

実に人はあっさりと死んでしまうものだなと。

親しかった人が、私の中では存在を保ったまま、現実には存在しなくなってしまったというのは、なんとも妙な感じだ。

よく飲む人たちだったので、頭の中ではショーチューコップを抱えた姿が思い浮かぶのだが、もう一緒に飲めないのである。

またもう一つ。

人の少ない所で人が死んでしまうと、欠落感がかなりあると言う事。

一人は借りている山の家の限界集落の人だった。

そんなに親しくしていた訳でもなく、たまに公民館の新年会とかで一緒に飲む人で、呑み助三羽がらす、の一角だった人なのだが、限界集落で一人死ぬとがっくり感がちょっと重い。

あの震災では、少なからず限界集落のような地域でもかなり被害があった筈で、その喪失感は限りないものだったんだろうと、まことに遅すぎるが想像できる。

そしてあの戦争でも。

これからの事を考えるとやらなければいけない事がいっぱいあるのだ。

音楽を買う。

久しぶりに音楽を買った。
一曲が250円だった。

今まで音楽を買うと、音楽それ自体、つまり、耳に入って来る音、とは別に、
CDのケースや写真、解説文、帯。
昔のレコードであれば、さらにでかい写真と帯や、歌詞カードがついてきたのだが、今回は250円払ってそうゆう物、は全く付いてこなかった。

せいぜい、パソコン画面用のサムネイル画像が付いてきただけである。

音楽を買って、余計なものが付いてこなかったのは多分、初めての経験ではないだろうか?

豪華アーティスト写真ブックレットとか、特大ポスターとか、最近では、特典dvdとか、がついてこないと損したような気持ちにさせられていたのは実は大手レコード会社のおまけ戦略にのせられていただけだったのかもしれない。

音楽は音楽だけ聞かせてもらえればそれでよかったのに、いつの間にかそれが商売になり、レコードジャケットや、歌詞カードをありがたがるのが癖になってしまったのかもな、と思う。

いきなりギターを抱えた人が来て、「いまから歌を歌うから250円下さい!」と言われても困るが、実は音楽は音楽だけで十分だなと思う。