吹きガラスの水滴。光原社出品作から

細い注ぎ口のついた、カラカラとか、すいのみ、とか、水滴などをたまに作る。

作らないと作り方を忘れてしまうから、たまには作らないといけない。

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作り方は、本体が吹棹に付いている状態で、熱いガラス種を、注ぎ口にしたい所にペトッとつける。

そして、吹棹に息を吹き込むと、熱いガラス種が、本体の身ごと(熱いガラス種の温度で、本体のガラスもいっしょに熔けて)膨らんでくるので、適当な長さまで延ばし、切りたいところを、火箸やピンサーでつまむとそこから冷めて切れるのである。

手伝いがいたり、付ける種の量が多いなら、種を種棹から切り離してもいいが、この写真のものくらいなら、種棹はつけたままのほうが、素早く作業できる。

つける種の温度を利用して、本体のガラスを熔かすのだから、早く息を入れないと、硬くなって、上手いこと膨らまない。

こうゆう熱燗用のカラカラとか、またはポッペンなどは、昔のガラス職人は昼休みにひょひょいと作り、子供のみやげとかにしていたらしい。徐冷もしない。

薄手に作るし、温度を見極めてちょいと水につける事で強化ガラスのようにしていた、とのことだ。

この話は、昔の大阪のガラス工場で、働いていた師匠から聞いた。

昭和30年代頃、この頃はガラスで作れるものはまだ、ほとんど職人が吹いて作っていたとの事。
ブラウン管とか、電球の玉とかもである。

今なら機械で作るものも全部職人が作っていた訳で、その頃の職人の腕は相当なものだったのだろう。
毎日いろんな製品をA品として作っていたのだから、カラカラや、ポッペンを昼休みに軽く作れたのもガラスに対する慣れが全然違ったのだろう。

私もポッペンを作ってみたが、半日やって、きれいな音がペッポンと鳴るのは2,3個しか出来なかった。

コツがあるのである。

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光原社と宮沢賢治とゴーシュのコップと詩人のこと。

「光原社」といえば、宮沢賢治を連想するのは私だけだろうか。

 

生前、まったく売れなかったと言われている賢治の最初の童話集、「注文の多い料理店」を出版したのが、盛岡で農業関係の書物を出版していた初代光原社主、及川四郎氏である。

 

若いころから、賢治ファンであった私は「光原社」といえば宮沢賢治であった訳だが、ガラスの仕事をするようになって、盛岡と、仙台に光原社という、工芸のお店がある事を知り、「もしかして、宮沢賢治とつながりがあるのでは?」と思っていた。

そして、後年、広島の舩木倭帆氏の元で、修行中の時、現在の光原社の若当主さんと、知遇を得る事となり、工芸店である現在の光原社さんも、宮沢賢治にゆかりのある光原社であることが分かったのである。

 

思えば不思議な縁であり、きっかけを与えてくれた師匠には改めて感謝している。

 

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それで、独立してから、光原社さんで個展をさせていただく事になった時、案内の葉書に次の一文を書かせていただいた。

 

「セロ弾きのゴーシュ」で家に帰ってきたゴーシュが水を飲むのはどんなコップだったのだろう。

そんな答えの見つからないコップを私はずっと作っていきたい、と思っている。

〜2010年7月光原社森永豊展示会DMより。

 

そして更に2012年、若かりし頃、バイブルのように持ち歩いていた宮沢賢治の最初の詩集「春と修羅」のような詩を書ける詩人になりたかった私は、調子にのって、また、賢治関係、のような、文を書いた。

 

売れない詩人になりたい。というのが若い頃のぼくの夢だった。どうして「売れない」が頭につくのかというと、売れない方が本物っぽく思えたからだ。ガラス作家になるということは半ば詩人になるようなものだから、とりあえずは夢がかなった、という事になる。

〜2012年7月光原社森永豊展示会DMより。

 

売れない方が本物っぽく・・・というのは、賢治の童話や、詩集が生前売れなかったり、ゴッホや、田中一村の絵が生前、評価されなかった、という話から、売れるのは本物ではないのだ!と若く、青く、硬く思い込んでいたのだろう。

今は私はそんな事は思わない。第一売れなくては、作品を作る原料も燃料も買えないし、それに、賢治もゴッホも田中一村もその後正しく評価され、作品はむしろちゃんとすごく売れたではないか。

 

そうゆう事で、今回も文章付の葉書が出来た。今回はあまり、賢治的、ではないが、それでももし、宮沢賢治が今の時代にいたならば、どのような行動をし、どのように感じられるであろうかと思えば胸が痛む気持ちも入っている。

仙台光原社さんで二年ぶりの個展です。

それで、一回目の個展の時、思いつきで賢治くんガラス人形を作ったのだが、今回、またリクエストがあったので、作ってみた。

勝手に現在によみがえらせてすいませんとこころで謝りつつ。

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光原社出品作から、 「Kenji」

光原社さんと宮沢賢治との、由来については、仙台光原社さんのホームページに詳しく、書かれているので、興味がおありの方はぜひ読んで見られる事をおすすめする。

簡素でわかりやすい文章で、当時の宮沢賢治と、及川四郎氏と、もう一人、近盛善一氏との面白いエピソードが紹介されている。花巻農学校時代の若き賢治と、及川、近盛両氏の熱い語らいが目に見えるようである。

 

仙台光原社:すぐれた手仕事

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吹きガラスでの失透生地はこんな感じ。

(仙台光原社、出品作品より。)

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吹きガラス、というかガラス全般であるが、「失透」という、やっかいな状態の生地になることがある。

これは、ガラス生地が、ある条件下に置かれた時、結晶、もしくは結晶核を生じ、結果、ガラスの透明感が失われ、つや消し状態や、つぶつぶ状態になってしまう事を言う。

焼き物で言うと、失透釉、マット釉、の感じで、なかなか悪くないのだが、この生地になってしまうと、固くて作りにくいは、結晶核化が進むと、溶けきれなかったコムギ粉のダマみたいになって、そこからヒビ割れるはで、進んで仕事したくなるような生地ではない。

 

私の窯では、温度が作業温度に上がりきれないと、なる事があり、その時はしょうがなしに作ったりする。

しかし、とにかく歩留まりが悪すぎ、進んでしたい仕事ではない。

だが、なんとか取れたものは、なかなか味があって、良いのである。

特に、水を入れると、霜がついたようでなかなか綺麗だ。

失透、英語で言うとデビトリフィケーション、

覚えておいてもあんまり役に立たないけど、こんなガラス生地もあるという事で。

 

 

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梅雨入りと梅雨明けの平均は?

台風一過、すっきりと晴れ上がるかと思ったら、すっきりしない。

 

最近はどうもこんな感じが多い。

はっきりしない天気だから、私はもう自分勝手に梅雨明けということに、はっきりしてしまう事にしよう。

 

ところで、吹きガラスは夏に忙しくなる商売である。

というか、春先から暖かくなって来るとよく動くようになる。

なので、この季節に展示会をする事が多いのだが、問題は梅雨である。

展示会をするお店の人と打ち合わせする時に、梅雨時は避けるようにしたいのだが、なんか梅雨って正確にいつからいつまで、というのがないので、いつも油断して、結果、梅雨時に展示会がかかってしまう事が毎年の事である。

ところが、今回、

台風8号、ノグリーくんの情報を集めようと、気象庁のホームページを見ていたら、「各種データ、資料」のところに、「過去の梅雨入りと梅雨明け」という、データがあった。

そして、ここに、過去1951年から、現在までの梅雨入り、梅雨明けのデーターがちゃんと書いてあるのである。

気象庁、過去の梅雨入りと梅雨明け

 

これによると、南九州の梅雨入りは、だいたい、5月終わりから、6月はじめ、梅雨明けは7月末ごろ、という事である。

つまり、6月はほとんど梅雨、梅雨明けは子供たちの夏休み前。

と、考えていたら、おおかた合っている事になる。

 

 

今回、霧島でやっている更紗さんの3人展も梅雨にかかってしまい、更に台風まで来てしまった。

誠にすまん事であった。

なので、DMに使った写真のメイキングバージョンをアップし、明日とあさってまでの三人展にぜひともご来場を願うものである。

 

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今回のDMに使ったのとは別バージョンの写真。

どこが違うかはこちらと比べてみよう。

私的な詩的吹きガラスたち

次にDMでは各個人の顔写真の横に白黒画像でのっていた作品写真のカラー版。

七尾佳洋さんのティーカップと、イッチンミニ湯のみ。

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七尾うた子さんの渋いミニ湯呑みと、中の赤い片口。

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んで、私のひわ色口巻小タンブラーと、灰釉泡瓶。
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明日、2014年7月12日、土曜日と、7月13日、最終日の日曜日は、七尾うた子さんが、在廊する予定ですので、ぜひこの不思議に強くも渋い作品群の親玉に会いにいって頂きたいものである。

 

仙台光原社さんのハガキが出来ました。

幸いにして台風8号は急に弱くなって通過してくれたので、大した事もなく良かった。

風もそんなに強くないので、吹きガラス作業を続行する。

子供たちは学校が休みになって喜んでいたが。

さて、25日からの仙台光原社さんのハガキが出来てきた。

なんか恐ろしげな顔の写真の人がいるが誰なのだろう?

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私は26日と27日は光原社さんにいる予定。

仙台は震災以後、ホテルがバカ高いそうで、予約を取ろうとしたら、土曜日だけ2万円とかで、ぼったくりである。

しゃくなので、カプセルホテルに泊まる事にした。

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光原社さんのブログとホームページはこちらから。

仙台光原社たより

仙台光原社:すぐれた手仕事

ブログに書いてくださったように、薪と炭を燃料にして作った作品を今回は初出し予定である。

籠城準備完了!

雨戸を閉めて、飛びそうなものの上に薪で重しをし、ついでに畑の草刈りと、木の剪定をやって台風対策が完了した。

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今日は台風準備のため、吹きガラス作業は休み。

こうゆう時、止められない窯は困る。早く窯を改造したいものだ。

さて、台風8号ノグリーくんだが、思っていたよりヘタってきたようだ。

はっきりしていた台風の目もなくなって、形もバラけてきている。

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多分、東シナ海の海水温がまだ低かったので、勢力を削ぎ取られたのだろう。

しかもコースが西にそれて、九州に真横から当たってくるコースどりになった。

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このコースなら、威力はだいぶ下がる。

北上しながら斜め左後ろから、えぐりこむように直撃するコースだと、強烈な南風が台風の進行するスピードに増幅され、軽く瓦がふっとぶ暴風になるのだが、西から、いそいそと来る場合、無理やりに東に進むことで、勢力が弱まるであろう。と予想する。

それに南西諸島の各空港の風速を見ても、そんなに強くないので、ノグリーくん、だいぶ弱ったようである。

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それにしてもインターネットのおかげて、気象庁の最新情報が得られるのは、大変ありがたい。
テレビやラジオの上っ面な情報より、生のデーターを見ることのできる気象庁のサイトはこうゆう時、大変頼りになる。

 

気象庁

 

まだ、油断は出来ないが、ノグリーくん、明日の正午ごろに、こちらにいらっしゃる予定。

 

来るなら来なさい! 

時間つぶしのDVDもこの際だからいっぱい借りたぞ。

 

 

しかし台風の生暖かい風のせいか、南方系の植物が急に元気になって来たのが、おもしろい。

 

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バナナとか。

 

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ソテツとか。

今度の台風はやばいかも。

きのうまで涼しかった空気が、急にブ厚くなって、台風が押し上げた南方の温気が息苦しい程だ。

 

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台風が来るかも知れない。

鹿児島で、強烈な台風が来ることは、命がけである。

特に、何もさえぎるもののない海上を渡ってきた台風の目が、左斜め下から直撃するコースの場合、最悪、家屋倒壊、最低でも瓦の5,6枚は飛ばされる覚悟をしておかないといけない。

今回のノグリーくん、その最悪のコースである。

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仙台の光原社さんの個展に向けて、ラストスパートをかけていたが、進路次第では、窯の火を落とさないとやばいかもしれない。

あとは念じるのみ。

あなたも多分勘違いしている遠赤外線の勘違い。遠赤外線を使いこなすには。

さて、今日も炭火吹きガラス炉は快調である。

この炭火のじわっとくるあぶりは実にやりやすい。

特に鉢、ボウルをやる時に、身の中程がじわっと柔らかくなるので、ゆるやかな曲線をたもちつつ、広げていくのが大変やりやすいのである。

もう、前のガスバーナーだけのあぶりには戻れないかもしれない。

あぶりたいところをピンポイントであぶれる小さなバーナーが炉内にあるようなものなのだ。

 

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ところで、この炭火効果だが、前の記事で言ったように、どうも私は遠赤外線というものを勘違いしていたようだ。

 

吹きガラスで薪と炭を使ってみたら。

 

遠赤外線効果というと、なんとなく、遠くまで暖かさがじわっと来ること。

と思っていたのだが、それは違う。

炭火の遠赤外線は近ければ近いほど、対象物(炭火焼きの時の食材や、吹きガラスの時のガラスなど)を暖める効果があるのだ、とわかった。

 

 

吹きガラスを炭火でやって、やっとわかった赤外線の意味。

 

 

炭火で作業していてなんとなく、そんな感じがしていたのだが、調べてみると、遠赤外線の、「遠」は、赤外線のうち、より、赤の波長から遠い波長の赤外線を赤外線というのであって、遠くまで届く、という遠、ではないということらしい。

 

ちなみに、赤の波長に近い赤外線は近赤外線というらしい。

 

まったく恥ずかしい事で、いちいち書くのも恥さらしだが、知らぬはいっときの恥である。

多分私と同じ勘違いをしている人もいるだろうと思って老婆心ながら書いてみた。

 

おそらく、遠赤外線に、効果が付いてくるから、変な勘違いをしてしまうのではないだろうか。

バーベキューをやる時に、起こり始めのゴウゴウたる炭で、肉を焦がしながら焼いて、食べて、腹いっぱいになってしまって、一息ついて、

落ち着いたいい感じの炭火を眺めながら、「今焼けばうまいこと焼けるんだがなー」と、しみじみ後悔するのは毎度のことで、まさにこれが遠赤外線効果であったのだ。

 

落ち着いたころの炭火で厚めの肉を火に近づけてじっくりと芯まで焼く。

これが、一番効果的な炭火の使い方だ。

 

しかし問題は腹が減っている時にそこまで辛抱して、じっくり焼けたためしがない事なんだな。

 

 

正夢

「こいつは画期的な正夢だ!」

と、いう夢を見て目が覚めたのだが、トイレに行ってうろうろしているうち忘れてしまった。

どうしても思い出せず、もう夜10時だ。

もう一回寝たら、思い出せるかも。

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グーグル先生にも苦手なものがあるのだ。

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グーグル検索と英語辞書のどっちをあなたは信用しますか?

わからない事や、ふと疑問に思う事があったとき、ちょっとグーグルで検索してみる人は多いのではないだろうか?

検索して、納得のいく情報が出てくる時もあるし、なんじゃこりゃ?という検索結果ばかり出てくる時もある。

 

しかしよく考えると、当然の事ながら、グーグル以前とグーグル以後がある訳で、私はグーグル検索を使い出してから、めっきり辞書を引かなくなってしまった。

検索をあてにしないで、ちゃんと辞書を引かないと正しい答えは出てこない、とよく言われるので、辞書を引かずに検索するのにちょっと後ろめたい気分も(特に子供の前では)あるのだが、言葉によってはけっこう精度が高い、と思う。

特に、英語の辞書はほとんど触らなくなった。

昔買った学校仕様の英語辞書なんて、日本語と、コンピュータ英語と、2ちゃんねる日本語と、ごちゃまぜになったネット文章を解析するのには限りなく精度が低く、絶対に正解にたどり着けないのはわかっているから、手が出ない。

反して、漢和辞典や、国語辞典はまだ手が出る事が多い。

英語辞書と比べて、何となく信用が置けるところがある。

なんでそう思うのだろう?

グーグル検索はいつから稼働し始めたのだろう?

ウィキペディアさんによると、グーグル様が検索ワールドに降臨されたのは1998年らしい。

検索エンジン

なんだそんなもんか、と思うほど、思ったより最近だ。

そこからあっと言う間に検索ワールドを席巻し、今やビッグデータの海をたゆたっていらっしゃる訳で、もうまったく訳わからん。

まさにもう神、と等しく、「グーグル様のごきげんを損ねては大変!」と、日々グーグルの検索エンジンに恐々とし、高いお金を払って、検索上位表示請負専門会社に高いお金を払っている歯医者さんもいるらしい。

ところがそんなグーグル様にも苦手なものがあるのである。

試しに、私が得意とする、「文章そのまま入力検索」で、「グーグル先生が苦手なもの」

と入れてみよう。

すると、

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どうやらグーグル先生はB型の人が嫌いらしい。
お!

いやそうじゃないだろう。

私が今、勝手に思っているのは、

グーグル以前と、以後で、グーグルの飲み込んだ情報量は違うのではないか?

ということだ。

つまり、

グーグルは1998年以前の情報はちょっと苦手。

なんじゃないの?

と、思うのである。

検索エンジンが現れて、ホームページをウエブ上にアップする人達が出てきて、次にブログが出てきて、割と更新のスピードの早いホームページ、といった感じで情報がアップされ、そしたら、ツイッターが出てきて、フェイスブックが出てきてと、次々、新しい情報は更新されまくって来ているのだが、

それは、当然「検索エンジン以降」のお話で、それ以前の情報は、各個人の方々は、昔話でもしない限り、「あまり、ウェブ上に出していない。」

のではないだろうか?

なんでそう思ったのか、と、いうと、個人的に私、悩んでいる事があり、ずっと疑問なのだが、わからない事があるのだ。

それは、

どうして、日本家屋には、暖炉が普及しなかったのか?

というまあ、一般の方々にはどうでもいい疑問なのだが、

どうして、暖炉でなく、囲炉裏だったのか?土管があったのだから、煙突は付けられた筈なのに、煙い思いをがまんして、なぜ囲炉裏だったのか、直火を使うのなら高い炭を買うより、ちょっとした煙突をつけたら、そっちのほうがいいと思うが?

と思い悩み、グーグル先生に聞いてみた。

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結果はまあ、かなりしょうもなかった、と言っておきます。

だから、グーグル先生は昔の事はあまり、お詳しくない、と。思った訳で。

知りたくても多分、1998年以前の情報を積極的に出す人は、あんまり多くないんじゃない。と。

だから私、漢和辞典や、国語辞典がなんとなく、グーグル先生より信頼できる気がしたのですな。

1998年生まれだがね、ヒヨッコですな。

しつけも出来ていないんじゃないの?

ハ、ハ、ハ、

(終)