ヒロ画廊さんのDM リーフレットは、私のインタビュー記事になりました。
少し長いですが、転載します。
琉球ガラス。地域のコミュニティ。原発、エネルギー問題、などについて調子に乗って語っています。
人はマイクを向けられるとつい語る習性があるのですね。恥ずかしい。
私の口調が〇〇だよね~ 調ですが、これはインタビュアーが親しい年下の方だったため、こんなのです。
お許し下さい。
”ヒロ画廊さんのリーフレットより転載”
吹きガラス作家・森永豊さんのヒロ画廊での個展に際し、熊本県八代市にある「珈琲と画廊 珈琲店ミック」で開催された森永豊・冬の硝子展【2018年1月18日(木)ー 1月30日(火)】を訪れました。
ー珈琲店ミックの店内、とても開放感がありますよね。
森永 もともと呉服屋さんだったんだけど、50年前にマスターの出水晃(いづみ・あきら)さんが喫茶店に改装されてね。地方紙の熊本日日新聞では、2013年にマスターの一代記「ようこそミックへ」が連載されたり、八代市でも有名なマスターだよ。
ーお世辞では無くて、森永さんのノスタルジックな作風とミックさんの気骨のある昔ながらの雰囲気がマッチされていますよね。
森永 合ってる?確かにね(笑)。ミックさんは2週間おきに展示会をされていて、次は絵画展みたい。
ーここでは定期的に展示会を?
森永 今回で4回目だね。最初は夏にしてもらっていたのだけど、最近は私がありがたいことに、各地の民芸店やギャラリーからの注文が夏に多いので、今回は冬にしてもらって。今度時間があれば、市内の干潟が広くて気持ちいいから見に行くといいよ。あと、球磨川は大きくて本当にきれいだね。
ー(球磨川の流域面積と延長はヒロ画廊の近くを流れる)紀の川と同じぐらいみたいです。
森永 そうそう、なかなか大きいよ。球磨川に荒瀬ダムっていうのが60年前に造られたのだけど、2012年に日本で初めてダムを撤去する工事が始まってね。今は、川の生態系も少しずつ回復しているみたい。単純にダムがあれば、ダム底に泥が溜まって水質が悪くなるでしょ?ダムを解体したことで水の流れがよくなって、鮎や水中生物が蘇ってね。ミックのマスターはその撤去運動にも従事されて、かなりの社会派で。
ーミックさんでの展示会のきっかけというのは?
森永 八代市から車で南方に40分程の所にある人吉市の魚座民藝店で私が展示会をしていて、それでミックさんも私のことを知っていてくれて。私がミックさんを訪れたことから仕事の話はすすんだね。
ー森永さんの作風を先ほどノスタルジーと言いましたが、具体的には淡い色使いと少し厚みのあるガラスによるリラックスした造形が特徴です。
森永 私はそもそも、琉球ガラスのゆるさが好きで吹きガラスを始めたんだよね。琉球ガラスって、太平洋戦争後に米軍基地で捨てられたコーラやビールの空き瓶を溶かして再生し始めたのが発祥でしょ?デザインは、米軍の人たちがアメリカで育った家庭の中にあったものを再現してほしいということで、たとえば、コンポート、栓付瓶……そのイメージを沖縄の人たちに伝えて作ってもらったのがはじまりでね。その頃の彼らの家庭にあったのものは、アーリーアメリカンのデザインが多いんだよね。ちょっとバタ臭い、けど洒落ている……赤毛のアンの世界に出てくるようなね。そのイメージをもとに、沖縄のガラス職人となる人たちは作り始めて、次第に琉球ガラスとして定着してね。自分が活動を始めた頃には「現代の名工」にも選ばれた稲嶺盛吉さんが人気で、稲嶺さんにも影響されながら作ってきたのだけど……今の琉球ガラスは観光客向けのお土産品として発展・維持しているから、独自性では自分が目指している吹きガラスではないよね。ただ、泡ガラスと琉球ガラスの始まりのプロセスには、今もとても惹かれているかな。
ーコップやコンポートなどの定番のガラス作品で、森永さんの中での変化はありますか。
森永 形の変化だと、少しずつシンプルになっていっているね。純粋な分難しいのだけど、その分作るのが面白いなと感じるようになったね。というのも、昔はシンプルなモノを少し斜に構えて見ていたのね。偶然性があって面白味のある作品の方が上だと思っていて。最近ミックさんで手に取った本の内容に感銘を受けたのだけど、その本では日本では民藝品の評価が高くて、たとえば焼き物だと窯変や偶然が生み出す美を尊ぶけど、中国だと景徳鎮のようなきちっとしたシンメトリーをまず作れる能力を評価するし、そうあるべきだということを主張しているのね。文化や時代の違いもあるけど、美しいものを作るときにはまずきちっとしたものを作れないとだめだっていうことが力説していて、「その通りだな」と思って。長いこと作っていると、シンプルなモノも偶然性のあるモノも、上も下もないんだなということに最近わかってね。どこか斜に構えるかよりは、まずきちっときれいなものを作ろう、というのが近年の心境面での変化かな。
ー制作周辺の話ですが、どのガラス作家と話しても燃料費の高騰と不安定さは悩みの種になっています。
森永 まず生活の方で、電力会社は新電力のグリーン電力に変えたね。制作面では、将来は自家発電による吹きガラス制作の可能性も探していて。例えば、田舎に借りている家の近くに2メートルぐらいの滝があるから、それで小水力発電を出来たらな、って。工房の窯は灯油とガスで焚いているのだけど、将来的には電気炉に変えた方が良いね。あと田舎に住んでいるからこそ、日常生活や制作で使うインフラは自分たちで何とかしないといけないな、という危機感があるよ。
ー自分たちで何とかしないといけないという考えに至ったのは?
森永 たとえば都市型生活にあまりに慣れすぎると、ガス・電気・上下水道、そういったインフラは「あって当然」ってなると思うんだよね。そして大地震や災害が起きてなかなか回復しないと、行政は政治家は一体何やってんだって、市民は怒り出すでしょ。都会暮らしも便利で良いことも多いのだろうけど、最終的には自分たちで何とかしないけない。そういう考えに至ったのは、私の場合は地元に原発があったからだね。原発が出来た20代の頃は無関心だったんだけど、広島での修行を終えて結婚して、帰郷して子どもも出来て少しは(原発に)関心も生まれて。市内の図書館に行ってみると、一棚分の原発関連本があって手当たり次第読んで少しは実態がわかりかけてね。そうこうしているうちに福島第2原発事故が起こって、この国の色んな事があぶり出されたわけでしょ?それ以来、本当に自分たちで何とかしてかないといけないな、って。自分の場合は工芸品だから作品のなかで姿勢を示すことはないけど、さっき言ったように生活と制作の範囲内ではエネルギーの生み出し方・使い方を変えていかないと、と思っているよ。あと、田舎に家を借りているのは、二人の子どもを田舎の学校に通わせたいからなのだけど、田舎の行事ごとにも必ず参加するようになったね。最近だと鬼火焚があって、関西だと「どんど焼」って言うのかな。これからだと梅が咲く頃には梅林で有名な天神様に近所の子どもたちを連れて出掛けるとかね。
ー過去の森永さんですと、そういうイベントには参加されなさそうですよね。
森永 そうでしょ。集団行動が苦手だからね(笑)。でも、借家の周辺の人たちとは、みんな顔見知りになったし大人や子どもたちの性格も覚えるようになった。借家のある地域は大手のエネルギー・インフラ会社の供給網の末端だから、パイプラインばかりを期待していてもね。何かあれば最終的には地域のコミュニティの力が必要不可欠ということは感じていて……面倒なことも当然あるのだけど、昔の日本のご近所付き合いや風景ってこういう感じだったのかな。
ーその地元・鹿児島とは別に、長年全国で展示会活動をされていますが、成果の変化は感じていますか。
森永 やっぱり、大型作品は売れにくくなっているような気はするね。5,6個のセットで出ていたものが、2,3個ずつでしか出なくなったり厳しさは毎年感じているね。でも、言い訳していても始まらないし、そういった状況だけど、今後は色の組み合わせ、色の階調を増やしていきたいね。階調を出すのは難しいけど、その分面白いからね。時代的にはシンプル基調が主流になって、私も造形ではそれを少しは取り入れているけど、(単色の方が)色のコントロールや管理は容易なんだろうね。ただ、あまりに透明ガラスや薄手のものばかりだと、作っている人たちも飽きてくるんじゃないのかな。色の組み合わせでは、時代には逆行しているけど、人がやらないことを出来るだけやりたいね。ところで、ヒロ画廊さんの案内状の表紙に使えそうな良い作品が昨日出来たんだけど、割っちゃったんだよね(笑)。もうね、良いなぁと思った作品は作っていることに集中して、扱うときに気が抜けちゃってね……。ほら、プロ野球でノーヒットノーランがかかった9回で、ピッチャーがヒットを打たれてみんなウワーッ!?てなるじゃない?「よし、出来た!」って思ったら、手からポロッと滑ったりして……。
ー(笑)。失礼なんですけど、いつも自然体な森永さんでも、緊張されるんですね。
森永 昔はもっと緊張してたよ。それこそ若い頃は青筋を立てて、朝から晩まで工房で作ってたからね。もう少し年をとれば、その緊張も無くなるんだろうけど……最近になってかな、肩の力が抜け始めたのは。