宮沢賢治の童話に「猫の事務所」というお話がある。
他の猫より皮が薄くて風邪をひきやすいので、いつもかまど(竈)の中に寝ている猫のお話だが、うちの猫は今日、空いた米袋の中で昼寝していた。
猫というのは実に暖かいところを好むようで、うちの猫もちょっと油断すると、ノートパソコンの上に乗ってたり、七輪火鉢のフチに無理やり乗ってたりする。で今日はふくろ猫。
賢治のかま猫くんはお仕事があって、猫の歴史や地理を調べたりするお役所のような猫の第六事務所に勤めている。
たまにべーリング地方とかに旅行に行くお金持ちのぜいたく猫が来ると旅行先の地理や、有力者などを帳面からさらって教えてあげるのがお仕事らしい。
かま猫君はとても性格がよくて、まじめなのだが、なにせ、いつもかまどの中で寝るので、あちこちススがついてきたなく、事務所のほかの猫達からいじめられている。
事務長がさりげなくかばってくれていたので、なんとか、かま猫君はがんばっていたのだが、風邪をひいて休んでしまったある日、その事務長もいじめ猫がついた、「あいつは宴会に呼ばれているようですぜ」という、ありもしない嘘のつげ口に、
「おれの知らない宴会に行ってるのか!」
とおこり、かばう者のいなくなった竈猫いじめはピークをむかえる。
そして、たまたま通りかかった獅子が、その様子を見て一喝するのだ。
「お前たちは何をしてゐるか。そんなことで地理も歴史も要ったはなしでない。やめてしまへ。えい。解散を命ずる」
そしてお話は最後に賢治がこう言って終わる。
”ぼくは半分獅子に同感です。”
このお話を読んでいけば、ほかのいじめ猫たちが実に憎たらしく描かれているので、最後に獅子がバッサリやるところで、竈猫君に同情している読者はたいがい、水戸黄門のようにスッキリするのだが、なぜ、賢治は「半分獅子に同感」なのか?
読んだ最初の頃はずっと疑問で、何かにつけ引っかっていたのだが、ある日、チーンとわかった。
いじめっ子がバッサリやられるのは確かに気持ちがいいのだが、獅子のような権力者の上からの命令で、状況が一変してしまう事の危なさを賢治はわかっていたのではないだろうか。
賢治が亡くなるのは第二次大戦が間近に迫ってくる時代だ。
上からの命令で運命がガラリと変わってしまう恐ろしさを詩人の感性はとらえていたのではないだろうか。
獅子の一喝は気持ちがいいが現実にはじっさい、かま猫君も仕事がなくなってしまう訳だし、ほかの猫にも妻子がいるのかもしれない。
まあ、猫はあまり仕事に向いているとも思えないので、暖かいところで昼寝しているのが一番だと思う。