塩吹き男。

風呂に入ろうとアゴに手をやったら塩が出来ていた。

なんでアゴに塩が出来るのかというと吹きガラスをやっている人なら経験があると思う。

暑い時に吹きガラスをやると塩を吹くのだ。

吹くというか、正確にゆうとつまり、暑さでかいた汗が、窯の熱で水分が蒸発して、いつの間にか塩になる。

出来るのは大体、胸の谷間の上部、つまりTシャツからはみ出た部分に出来やすい。

一番汗がたまりやすい所で、ガラス窯の熱にさらされるので、汗がすぐ乾き、塩になるのだ。

さわるとザラザラするのですぐ分かる。

で、塩分補給のため、なめたりするのだが。

けっこうおいしい。

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それからアゴの先も塩を作りやすい。

ふつうアゴは先が下がっているので、汗がたまりやすいし、ヒゲが適当に伸びていると、水分が蒸発しやすくなるので、よく塩ができる。

特に長さが、3,4ミリの時が良いようだ。

また、塩吹き男。と書いたが、これが女、だと変に喜ぶ人がいるかもしれないので気を付けよう。

人間であれば誰にでも暑い時に塩は出来る事なのだが、潮吹き岩を見て大喜びする馬鹿もいるので。

全国いろいろあるが、山口県の竜宮の潮吹き岩が私は特に面白かった。

 

 

 

 

もし、最低気温が30度を下回らなかったら、何と命名したら良いのか?熱帯夜はおおげさすぎたんじゃないかと思う

久しぶりに太陽光パネルを出して、小屋のバッテリーに充電した。

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今年の8月はものすごく天気が変に悪くて、

いきなり大雨が降る。

洗濯物を取り込む

と思ったらすぐに晴れてあれなんだったんだと。

と思ったら急に雨風が強まり、雷が鳴り出す、というまことに変な天気が多かった。

わたしも若いころは、と言っても子供のころだが

雷が鳴り出し、土砂降りになるとなんだか急に興奮して、

変なおどりを踊ったりしたものだが・・・・。

近ごろは、というともう50過ぎで、

なんだかもう気力もなく、ただ降る土砂降りの大雨をボー然とながめるだけになってしまった。

それにしても近ごろのあめは、

どしゃぶり、などと可愛いものではなく

何と言ったらいいのか、

どどぶり・・・・。

ですか・・

あとはみなさんご自由に命名してくだされ。

しかし、それにしても、「熱帯夜」

の命名はちょっと早まり過ぎたな、と思う。

可愛めに「温帯夜」くらいにしておけば良かったのだ。

だって「最低気温が25度以上の夜」でしょう?

そんなん鹿児島じゃ、8月はほぼ毎晩だ。

やっと近ごろ26度くらいになってホッとしているぐらいなのに。

これでもし、

最低気温が30度を下回らなかったら、「猛暑夜」?ってなるのか?

ひー

私、そんなんじゃもう生きる気力が湧いてきません。

せめてもし、

「最低気温が25度以上の夜」は「温帯夜」

にしておいたなら、「最低気温が30度以上の夜」が

「熱帯夜」という事になり、ま、少しは生きててもいいかな、という感じになるのだが。

 

スモール イズ ビューティフル を読むと。

スモール イズ ビューティフルを読むと、たちどころに眠たくなってしまう。

仙台の行き帰りの待ち時間に、読破しようと、デイパックに入れて行ったのだが、2,3分も読むと、ものすごく眠くなり、はっと気付くと寝ている。

熟睡して、ヒコーキが飛んでしまっては、パーなので、読みたくてもあまり読めなかった。

いや、なんかいい事言ってるなーと思うのだが、いかんせん、翻訳文独特の伝わりにくさと、もともとの、ちょっと回り道して説明するような文体が、たまらなく至福の眠気を誘う。

 

しかし!その中で、我が意を得たり!という箇所をちょっと抜粋してみる。

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「したがって、現代技術は、人間が楽しんでする仕事、頭と手を使っての創造的で有益な仕事を奪い、代りにみんながいやがるコマ切れの仕事をたくさん作り出したと言って良い。」

「・・・人が仕事に費やす時間からすべての人間的な喜びや満足感が失われてしまうという事が起こった。現場での生産のほとんどが、人間を豊かにするどころか貧しくする、非人間的な雑用になってしまった。」

「実のある仕事が人をすこやかにする力、教育する力を考えてみてほしい。・・・今日ではなかなか手が届かない特権、つまり頭と手を使って、好きなときに自分のペースで、性能のよい道具を使って役に立つ創造的な仕事をする機会を、だれもが手に入れることになるだろう。」

E・F・シューマッハー スモールイズビューティフルより、抜粋

 

以上、3箇所を抜粋してみたが。

 

出版がなんと、1971年。この本は世界のベストセラーになり、シューマッハーは現代の預言者になった。らしい。

どれだけの人がこの本を手にしたかは判らないが、多分、多くの人が眠たくなったかもしれないが、石油危機と、増殖する現代文明の不気味さに、感づき、救いと回答を求めて、この本を手にしたのだろうと推察される。

 

そしてシューマッハーは、その答えに、手仕事の重要性を用意していたのだ。

一人の人間が、自分の手をもって、完成させる、一つの手仕事。

その満足感と、幸福感を救いとし、回答としたのはまさに慧眼という他はない。

 

しかしながら、1971年からもう2014年となり、回答はあるのに未だ救いは得られず、我々はますます混迷の泥沼にはまっていくようである。

これは、化石燃料を始めとする地球資源を簒奪することでしか、経済を進めて来れなかった人類の、根本的な愚かさゆえであろう。

 

この本は「経済学」に対して、その根本的な愚かさを主題としているようなのだが、私は、そこのところをもっと深く、読み込もうとすると眠くなってしまうので、「経済」、のところがよくわからない。

ただ、思うに、「経済」、を、発展するもの、右肩上がりのもの、とする設定は、元が間違ってると思う。

 

生まれ、成長し、やがて衰え、死んでいくのが生命だ。

そこに、繁栄し続ける事を理想とした「経済」、を植え付け、あたかも不老不死のごとく見せようとすることは、どだい矛盾のカタマリなのだ。

そうゆう事をシューマッハーは多分この本で言いたかったのだろう、と思うが、更に読み込もうとすると、眠くなってたまらない。

しばらく、私の枕元の座右の書となりそうである。

 

 

 

 

 

 

 

岸田劉生の麗子像をぼんやり眺めていて気付いた。

これは愛だったんだな、と。

グロテスクだの、気持ち悪いだのと、言われがちな麗子像だけど、子供って、可愛いだけではなくて、こんな人間以前の本能をさらけ出す生き物だ。

それを誤魔化さず、正面から向き合って誠心誠意、表現したところが麗子像のすごさなんだ。

最近では奈良美智さんが描いている上目使いに睨みつけるような可愛さだけではない、こどもの本質をとらえた表現をされているのと、同じような苦しく、シビアな表現だと思う。

子供の本質を誤魔化さず、描ききることは大変苦しい作業だっただろうと想像する。

それも、愛があったからこそ描けたのだろう。

 

と、子供をもってみて初めてわかる麗子像であった。

 

子供が地球上最悪の生物であることの35の理由

 

 

 

 

グーグル先生にも苦手なものがあるのだ。

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グーグル検索と英語辞書のどっちをあなたは信用しますか?

わからない事や、ふと疑問に思う事があったとき、ちょっとグーグルで検索してみる人は多いのではないだろうか?

検索して、納得のいく情報が出てくる時もあるし、なんじゃこりゃ?という検索結果ばかり出てくる時もある。

 

しかしよく考えると、当然の事ながら、グーグル以前とグーグル以後がある訳で、私はグーグル検索を使い出してから、めっきり辞書を引かなくなってしまった。

検索をあてにしないで、ちゃんと辞書を引かないと正しい答えは出てこない、とよく言われるので、辞書を引かずに検索するのにちょっと後ろめたい気分も(特に子供の前では)あるのだが、言葉によってはけっこう精度が高い、と思う。

特に、英語の辞書はほとんど触らなくなった。

昔買った学校仕様の英語辞書なんて、日本語と、コンピュータ英語と、2ちゃんねる日本語と、ごちゃまぜになったネット文章を解析するのには限りなく精度が低く、絶対に正解にたどり着けないのはわかっているから、手が出ない。

反して、漢和辞典や、国語辞典はまだ手が出る事が多い。

英語辞書と比べて、何となく信用が置けるところがある。

なんでそう思うのだろう?

グーグル検索はいつから稼働し始めたのだろう?

ウィキペディアさんによると、グーグル様が検索ワールドに降臨されたのは1998年らしい。

検索エンジン

なんだそんなもんか、と思うほど、思ったより最近だ。

そこからあっと言う間に検索ワールドを席巻し、今やビッグデータの海をたゆたっていらっしゃる訳で、もうまったく訳わからん。

まさにもう神、と等しく、「グーグル様のごきげんを損ねては大変!」と、日々グーグルの検索エンジンに恐々とし、高いお金を払って、検索上位表示請負専門会社に高いお金を払っている歯医者さんもいるらしい。

ところがそんなグーグル様にも苦手なものがあるのである。

試しに、私が得意とする、「文章そのまま入力検索」で、「グーグル先生が苦手なもの」

と入れてみよう。

すると、

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どうやらグーグル先生はB型の人が嫌いらしい。
お!

いやそうじゃないだろう。

私が今、勝手に思っているのは、

グーグル以前と、以後で、グーグルの飲み込んだ情報量は違うのではないか?

ということだ。

つまり、

グーグルは1998年以前の情報はちょっと苦手。

なんじゃないの?

と、思うのである。

検索エンジンが現れて、ホームページをウエブ上にアップする人達が出てきて、次にブログが出てきて、割と更新のスピードの早いホームページ、といった感じで情報がアップされ、そしたら、ツイッターが出てきて、フェイスブックが出てきてと、次々、新しい情報は更新されまくって来ているのだが、

それは、当然「検索エンジン以降」のお話で、それ以前の情報は、各個人の方々は、昔話でもしない限り、「あまり、ウェブ上に出していない。」

のではないだろうか?

なんでそう思ったのか、と、いうと、個人的に私、悩んでいる事があり、ずっと疑問なのだが、わからない事があるのだ。

それは、

どうして、日本家屋には、暖炉が普及しなかったのか?

というまあ、一般の方々にはどうでもいい疑問なのだが、

どうして、暖炉でなく、囲炉裏だったのか?土管があったのだから、煙突は付けられた筈なのに、煙い思いをがまんして、なぜ囲炉裏だったのか、直火を使うのなら高い炭を買うより、ちょっとした煙突をつけたら、そっちのほうがいいと思うが?

と思い悩み、グーグル先生に聞いてみた。

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結果はまあ、かなりしょうもなかった、と言っておきます。

だから、グーグル先生は昔の事はあまり、お詳しくない、と。思った訳で。

知りたくても多分、1998年以前の情報を積極的に出す人は、あんまり多くないんじゃない。と。

だから私、漢和辞典や、国語辞典がなんとなく、グーグル先生より信頼できる気がしたのですな。

1998年生まれだがね、ヒヨッコですな。

しつけも出来ていないんじゃないの?

ハ、ハ、ハ、

(終)

吹きガラス作家は本当に食べていけるのですか?

炭火吹きガラス炉は、今日も快調である。

 

今日は久しぶりにこのコップを作る。

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いつの間にか定番コップになってうれしい。

 

難しいけど、作るのが面白いコップである。

 

さて、炭火の遠赤外線効果が、吹きガラス製作でどうして優位になるのか?

と、書こうと思い、炭火のことをパソコンで調べていたら、なにかの質問箱に、

「兄が、ガラス作家になろうとしていますが、どうしたらいいのでしょうか?

ガラス作家は食べていけるのですか?」

 

みたいな趣旨の質問があって、つい、釘付けに見てしまった。

 

ガラス作家は食べていけるのですか?

食べて行けません!

と、即座に回答しようと思ったが、ま、落ち着いて人々の回答を見てみると。

 

けっこうな数の回答があり、おおむね9割が、「やめた方がいいです」

と、ごくまっとうな意見であった。

で、残り、1割、が「本人の好きにさせて行ける所まで行かせてしまえ。やりたいのならやってしまえば、結果はどうでも良いではないか」

というもので、なるほど、これが正解であるかな、と思い直した。

よく考えてみたら、自分も、そうゆう人間の一人だった訳だし、吹きガラス作家になる為に、修行したり、勉強したり、専門の道具を少しずつ買い揃えていたりしている人間に、何を言っても無駄ではないか、ということなのだ。

 

ま、しかし、私は独立したい!という人に、ことごとく、「やめた方がいい。」

と言ってきたイヤミなおじさんなのだが。

 

いや、私とて、「ぜひ、そうしなさい!楽しいよー!一緒に展示会やろうね。」

と言えたらどんなに良いか。

だが今はとにかく燃料代が高すぎる。

前の記事でも書いたが、月20万の燃料代を叩き出す事は、生活のサイフが一緒になっている個人作家には痛すぎるのである。

 

言い訳になるけど、今は静かな異常事態です。

 

実は今回、吹きガラスの窯を、薪で焚いてみたり、炭火を使ってみたりしているのは、燃料の事を改めて、考えてみたいからである。

そして、私は新しく吹きガラスをやろうとしている人達に、ぜひ、やってみて下さい!

と言えるようになりたい、と思っている。

ちょっと長くなるが、そこのところをちょっとこの際だから言っておきたい。

 

吹きガラス作家にこれからなろうとしている人達へ。

ここのところ、薪と炭を使って、吹きガラスの窯を焚く方法を模索しているのだが、実はまだ、「結局のところ、ガス代や灯油代がいくら安くなったのか?」

という、肝心なところは書いていない。

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窯に詰める薪の量にもよるし、作るものの大きさによっても、燃料消費量は違ってくるから、もう少し、データーをとらないと、本当のところがまだわからないからだ。

 

“薪と炭を使って吹きガラス” つまりこうゆうことだ。

 

だが実は結論から言うと、確実に節約出来ているのは確かだ。

作る物にもよるが、作業炉で、一日、3分の1から、半分のガス代は節約できているだろう。

しかしながら、

これは節約でやっているのではない!のである。

言うなれば、

「自分の汗が確実に仕事と結びつく。」

その手応えの為にやっている、と言った方が良い。

「金の話をすると野暮になる。」のである。

一日ガス代が、3分の2や、半分になったとて、お金に換算すれば何ほどのものでもない、せいぜい千円になるかならんかといったところだろう。

薪を切ったり、割ったりする手間を考えると、比較の対象にもならない。

では、なぜ?

金ではないのだ。

なぜ、自分が吹きガラス作家になろうとしたか思い出してみるがいい。

なんどでも言うが、金ではない。

この訳のわからん世の中で、自分の居場所を見つけるため、訳もわからず走っていた結果、こうなった。

のだ。

 

思えば。

当たり前のように入った学校では、当たり前のようにテストされ、何の役にも立たない数字を詰め込まれ、すべて点数がすべてで、一番以外は、いわれのない劣等感を埋め込まれ続け。

社会に出たら、社長にこき使われ、夜遅くまで縛り付けられ、腹をすかせてでも早く残業をすまそうとしたら、夜食をとられ、もらったお金を見れば、隣のやつに完全に負けてて、やっぱり、劣等感とつきあわされ。

そして、ガラス作家になってみれば、燃料代をかせぐため、やっぱり金が要り、気付いてみれば、町で一番灯油を注文する人間で、エネルギー業界のヘビーエンドユーザーで、かっこ悪く言えば、売人から見れば要はネギしょったカモで。

それでもがんばってデパートで展示会をやれば、今日の売上はいくらで、目標まであといくらで、ああ、そういえばあの作家さんはいくらだったかしら、と、やっぱりお金が顔になり。

思えば。

なんの為に作家になったのだろう?

 

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だから、この際だから言っておきます。

 

これから、吹きガラス作家になろうとしている人達へ。

 

ぜひおやんなさい。

あなたがあなたであるために。

でも、その為には、いままでの、常識や、習い覚えて来たことに、とらわれたままではいけません。

なぜならば、これからの時代は大きく変わるからです。

昭和の景気の良い時代に、形作られた窯のノウハウや、エネルギーの使い方ではこれからはやっていけません。

新しいやり方が必ずあるはずです。

まず、しじゅうガラス炉を焚くといった、無駄なやり方は変えるべきです。

寝ている間も金が燃えていく、風邪で休むのにも金がいる。

新しい焚き方にするのはむずかしいかも知れませんが、もう今のやり方で、個人作家はやっていけません。

いっしょに考えて行きましょう。

 

ガスや、石油や、電気の元締めに振り回されるだけの、「末端」では潰されるだけです。

 

何より、あなたが流した汗は、貴方のためにあるべきです。

 
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不動のFマウントは今だに健在だった。えらいぞニコン!

また嵐の春の一日。

今年はこんな日がとても多い。

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ガラスの写真を撮る時、オートフォーカスだとピントが合いにくい話を書いたが、結局どうやってピントを合わせたかというと、ピントを合わせたい所に、そのへんに転がっていた紅茶の空き箱を置いて、ラベルの文字をカメラに認識させ、ピントを合わせる。そしてセルフタイマーにしておいてシャッターを切り、セルタイマーが落ちるまでの間に、紅茶の空き箱をとって写真を撮る。

というめんどくさい方法でDMの写真撮りをしたのである。

数枚撮るたびにパソコンでちゃんとピントが合っているか確認しつつやったので、半日で済ませるつもりが一日仕事になってしまった。

ガラス炉には火が入ったままなので、ムダなことをしてしまった。と、かっくりくる。

「やっぱり一眼レフがいるかなー。でも金ねーし」と、何度めかのため息をつきつつ、ぼんやり考えていたら、ふと思いついた!

「ニコンの一眼レフカメラなら、昔のレンズが使えるんじゃないか?」

つまり、こうゆうことだ。

「今のニコンのデジタル一眼レフカメラのボディだけ、中古で買って、レンズは自分が昔から持っているフイルム一眼レフカメラのものをつけたらいいではないか!

ニコンがデジタルの波ニモマケズ、不動のFマウントのままであれば、デジカメにフイルムカメラのレンズが付くはずである!」

そして、

多分、今のデジカメはコンパクトデジカメが主流で、一眼レフカメラはあまり人気がない。人気はないが、技術はどんどん進んでいるので、各会社とも競って新製品を出している。ニコンの型番がどれが何なのか分からんほど、ごちゃごちゃ出てるのがその証拠だ。

どんどん新製品を出すということは、スペックの高かった新製品がすぐに型落ちになり、陳腐化するということである。

陳腐化するということは、中古品が安く出まわっている筈だ。

たとえ型落ちとはいえ今のデジタル一眼レフの性能ならば、家でDM用の写真を撮るくらいなら必要にして十分なスペックであろう。

と、ここまで思いつきグーグル君に聞いてみると。

さすが、ニコン。

不動のFマウントは今だ不動。

ユーザーがどんだけ、「あなたについていきます!」と言うだろう、ってことですな。これが企業倫理ってものだ。

うそとごまかししかやらないどっかの電力会社はぜひ見習っていただきたいもんだ。

まあ膨大なニッコールレンズのコレクションユーザーがいた訳で、デジカメになったとたんにその財産がゴミ箱行き。ならどんだけ怒るか?というのもあるけど、そのレンズがたとえオートフォーカスや、自動露出はできなくとも、最新のデジタル一眼レフにぴったり入れ込むことができるちゅうのはいい話だ。

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ピントはファインダーで合わせればいいし、露出は大体経験でわかっているし、シビアに測るのならもう一台のデジカメで、露出を測ればいいのだからノープロブレム。

 

ま、以上の視点でデジタル一眼レフカメラ中古市場をみてみると、まさに宝の山。

ざっくざっくですな。

2,3万出せば型落ちの20万スペック品があることあること。

もうどれがどう違うのか訳がわからん。

 

あとはあこがれのRAW現像ができたらよし。

 

 

 

 

 

 

慣れないことをやって疲れる。

このところ鹿児島のガラス作家展の準備でいろいろやり慣れないことをやって肩がこる。

吹きガラスの制作中のビデオを編集してDVDに焼こうとしたら以前やったことなのに全くやり方を忘れていて思い出すのに二時間ぐらいかかってしまう。

パソコンの手順ちゅうものは、やってるうちに何とかなるものだが、その時はできてホッとしても後で、も一回やろうとしたら絶望的に何も思い出せない。

指先と目を使うだけで仕事を済ませるパソコン仕事と、体全体と頭脳を使って仕事する肉体労働の職人的仕事とは決定的な違いがあると思うのだが、ありていに言ってしまえばパソコン仕事は記憶に残りにくく薄い記憶のような感じがする。

それに比べて、体を使った仕事というものは深いところに落ち着き、何か同じ仕事があればまた思い出せる記憶の階層に記憶されるのではないのだろうか?

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明日は明日の風が吹く

あけましておめでとうございます。

今頃何をゆってる?と思われるでしょうが、今日は旧暦の元旦です。

これこのとおり。

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うちでは昨夜、お蕎麦を食べ、今朝はお雑煮を食べて、お正月をお祝いしました。

そのあとなぜか、大掃除に移行してしまいましたが。天気がよかったので。

ちなみに、この写真の日めくりカレンダーですが、今日のように旧暦がわかったり、とか大変役に立つのですが、今日の格言や、今日は何の日?とかも書いてあって、面白いです。

ブログタイトルの「明日は明日の風が吹く」は、(幕末、明治期の歌舞伎脚本作者 河竹黙阿弥 1816~1893)の言葉のようで、手垢にまみれた言葉ですが、改めて歌舞伎脚本の方から言われると、なるほど、実に真実をついた言葉だなあ、と、ぐっときます。

そう、明日は明日の風がまた新しく吹くのです。素晴らしいことではないですか。

ほんでカレンダーの、今日は何の日?を見ると。

「ニットの日」

2月10日だから、ニット?

正月気分をこわさんでくだされ。