吹きガラスは化学反応を起こしながら作っているのだ!カリガラスへの挑戦なのだ。

もう彼岸も過ぎたから、これでやっと鹿児島も涼しくなったと余裕で仕事してたら、いやなんか暑くないか?と温度計見たら40度越えてて熱中症になりそうになった。

エムズギャラリーの個展も無事に終わって、少し気が抜けたが、次があるので、やっぱりずっと作っている。

相変わらず炭と薪とガスで焚いているのだが、だんだんコツもわかってきて快調である。

M'sギャラリーのK矢さんが、今回出したコップを触って「ツヤツヤしてますね〜」

とおっしゃっていたが、自分でも「なんか今までと違うなー」と思っていたので、人に気付いてもらえると嬉しい。

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表面にもう一枚、膜があるような、感じがするくらいツヤツヤしており、手触りもなんか柔らかい。

多分これは想像だが、薪を焚いていて、薪に含まれるカリ成分が、ガラスと反応し、表面が釉薬がかかったような状態になっているのではないか、と思う。

ボヘミアガラスが、カリガラスの代表だが、カリガラスというガラスは、ソーダガラスや、鉛ガラスと比べ、融点が高く、キラキラしているのが特徴である。

昔見たことのあるカリガラスに、今回の薪ガラスは似た光り方をするように思う。

1000度を超える温度で、作っているのだから、そのような化学反応が起きていてもおかしくはないと、思うのだが。

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ガラスという、不思議に透明な器が生まれた事の不思議もあるのだが、 今回は、薪と炭を使った吹きガラスを始めてしまった事による、燃焼の不思議の、訳のわからなさがメインの気持ちだ。

KTSさんの取材の補足を書いたが、もう一つ、今回のエムズギャラリーさんの展示会で説明しておきたい事があったのだった。

エムズギャラリーさんの葉書に、

「ガラスの謎に改めてとらわれてしまった。

シルクロードを渡ってきたグラスを、しげしげと眺め続けた人のように、

本当にわからない事だらけになってしまった。」

と書いたが、

ガラスという、不思議に透明な器が生まれた事の不思議もあるのだが、

今回は、薪と炭を使った吹きガラスを始めてしまった事による、燃焼の不思議の、訳のわからなさがメインの気持ちだ。

 

なぜ炭は炭素の固まりなのか、

木が炭素の固まりになる過程で、失われる木質ガスはどれほどのエネルギーなのか、

燃焼の為の空気は入れれば入れるほどいいのか、

それとも空気を入れず、強還元状態のほうが、ガラスはよく焼けるのか、

赤い炎と、白い炎のどっちがガラスの芯まで焼けるのか?

と、いう具合に、ギモンが次から次へと浮かんできて、もうすべてが訳わからなくなってしまった、

と、言う事を今回の葉書では言いたかったのである。

会場にいて、説明できたら良いのだが、今回は窯に火が入っているので、ギャラリーに詰められず、その辺の説明ができないので、ここで説明しておきます。

しかし!

訳が分からないが、確実に判る強みを吹きガラスという仕事はもっている事に気付いた。

吹きガラスの作業をしていて、棹の先のガラスをあぶっている手応えで、窯の状態を感じる事ができるのだ。

「あ、これはもう(ガラスが)柔らかくなってきているな!」

という手応えは、棹を回している力ぐあいで指先が微妙に判断できるのである。

つまり、吹きガラスという仕事は、窯の状態が判断できるゼーゲルコーンを棹の先に常につけている、

という常時、ゼーゲルコーン状態である。という事だ。

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これはつまり、

訳のわからん窯の状態を、

常に判断できるセンサーをもっているという事になる。

これは、すごい事ではないのか?

訳のわからん窯の燃焼状態を指先で判断できる!

という事なのだ。

 

むうー、すごおい事に気付いたのだが眠いのでこのへんで今日は終わり。

 
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吹きガラス作家は本当に食べていけるのですか?

炭火吹きガラス炉は、今日も快調である。

 

今日は久しぶりにこのコップを作る。

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いつの間にか定番コップになってうれしい。

 

難しいけど、作るのが面白いコップである。

 

さて、炭火の遠赤外線効果が、吹きガラス製作でどうして優位になるのか?

と、書こうと思い、炭火のことをパソコンで調べていたら、なにかの質問箱に、

「兄が、ガラス作家になろうとしていますが、どうしたらいいのでしょうか?

ガラス作家は食べていけるのですか?」

 

みたいな趣旨の質問があって、つい、釘付けに見てしまった。

 

ガラス作家は食べていけるのですか?

食べて行けません!

と、即座に回答しようと思ったが、ま、落ち着いて人々の回答を見てみると。

 

けっこうな数の回答があり、おおむね9割が、「やめた方がいいです」

と、ごくまっとうな意見であった。

で、残り、1割、が「本人の好きにさせて行ける所まで行かせてしまえ。やりたいのならやってしまえば、結果はどうでも良いではないか」

というもので、なるほど、これが正解であるかな、と思い直した。

よく考えてみたら、自分も、そうゆう人間の一人だった訳だし、吹きガラス作家になる為に、修行したり、勉強したり、専門の道具を少しずつ買い揃えていたりしている人間に、何を言っても無駄ではないか、ということなのだ。

 

ま、しかし、私は独立したい!という人に、ことごとく、「やめた方がいい。」

と言ってきたイヤミなおじさんなのだが。

 

いや、私とて、「ぜひ、そうしなさい!楽しいよー!一緒に展示会やろうね。」

と言えたらどんなに良いか。

だが今はとにかく燃料代が高すぎる。

前の記事でも書いたが、月20万の燃料代を叩き出す事は、生活のサイフが一緒になっている個人作家には痛すぎるのである。

 

言い訳になるけど、今は静かな異常事態です。

 

実は今回、吹きガラスの窯を、薪で焚いてみたり、炭火を使ってみたりしているのは、燃料の事を改めて、考えてみたいからである。

そして、私は新しく吹きガラスをやろうとしている人達に、ぜひ、やってみて下さい!

と言えるようになりたい、と思っている。

ちょっと長くなるが、そこのところをちょっとこの際だから言っておきたい。

 

吹きガラス作家にこれからなろうとしている人達へ。

ここのところ、薪と炭を使って、吹きガラスの窯を焚く方法を模索しているのだが、実はまだ、「結局のところ、ガス代や灯油代がいくら安くなったのか?」

という、肝心なところは書いていない。

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窯に詰める薪の量にもよるし、作るものの大きさによっても、燃料消費量は違ってくるから、もう少し、データーをとらないと、本当のところがまだわからないからだ。

 

“薪と炭を使って吹きガラス” つまりこうゆうことだ。

 

だが実は結論から言うと、確実に節約出来ているのは確かだ。

作る物にもよるが、作業炉で、一日、3分の1から、半分のガス代は節約できているだろう。

しかしながら、

これは節約でやっているのではない!のである。

言うなれば、

「自分の汗が確実に仕事と結びつく。」

その手応えの為にやっている、と言った方が良い。

「金の話をすると野暮になる。」のである。

一日ガス代が、3分の2や、半分になったとて、お金に換算すれば何ほどのものでもない、せいぜい千円になるかならんかといったところだろう。

薪を切ったり、割ったりする手間を考えると、比較の対象にもならない。

では、なぜ?

金ではないのだ。

なぜ、自分が吹きガラス作家になろうとしたか思い出してみるがいい。

なんどでも言うが、金ではない。

この訳のわからん世の中で、自分の居場所を見つけるため、訳もわからず走っていた結果、こうなった。

のだ。

 

思えば。

当たり前のように入った学校では、当たり前のようにテストされ、何の役にも立たない数字を詰め込まれ、すべて点数がすべてで、一番以外は、いわれのない劣等感を埋め込まれ続け。

社会に出たら、社長にこき使われ、夜遅くまで縛り付けられ、腹をすかせてでも早く残業をすまそうとしたら、夜食をとられ、もらったお金を見れば、隣のやつに完全に負けてて、やっぱり、劣等感とつきあわされ。

そして、ガラス作家になってみれば、燃料代をかせぐため、やっぱり金が要り、気付いてみれば、町で一番灯油を注文する人間で、エネルギー業界のヘビーエンドユーザーで、かっこ悪く言えば、売人から見れば要はネギしょったカモで。

それでもがんばってデパートで展示会をやれば、今日の売上はいくらで、目標まであといくらで、ああ、そういえばあの作家さんはいくらだったかしら、と、やっぱりお金が顔になり。

思えば。

なんの為に作家になったのだろう?

 

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だから、この際だから言っておきます。

 

これから、吹きガラス作家になろうとしている人達へ。

 

ぜひおやんなさい。

あなたがあなたであるために。

でも、その為には、いままでの、常識や、習い覚えて来たことに、とらわれたままではいけません。

なぜならば、これからの時代は大きく変わるからです。

昭和の景気の良い時代に、形作られた窯のノウハウや、エネルギーの使い方ではこれからはやっていけません。

新しいやり方が必ずあるはずです。

まず、しじゅうガラス炉を焚くといった、無駄なやり方は変えるべきです。

寝ている間も金が燃えていく、風邪で休むのにも金がいる。

新しい焚き方にするのはむずかしいかも知れませんが、もう今のやり方で、個人作家はやっていけません。

いっしょに考えて行きましょう。

 

ガスや、石油や、電気の元締めに振り回されるだけの、「末端」では潰されるだけです。

 

何より、あなたが流した汗は、貴方のためにあるべきです。

 
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吹きガラスで薪と炭を使ってみたら。

昨日の続き。

蒸し焼きにされ、木ガスを放出し終わった薪はどうなるか?

窯を開けてみよう。

こうなっている。

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つまり、炭になるのだ。

だが、このまま放っておいては、崩れて、やがて灰になってしまう。

なので、窯から取り出し、消し粉(灰と、砂と、土を混ぜて、少し湿らせたもの)をかけて、炭にしてしまうのだ。

 

翌朝取り出すと、ちゃんと白炭ができている。

 

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この炭は、もうケムリを出しつくしているので、屋内で火鉢に使っても、けむくない立派な炭なのだが、試しにダルマに入れて、あぶりの補助にしてみると、これが意外にも効果があるので驚いた。

ガラスがじわっと柔らかくなってくれて、すごく作業しやすいのだ。

そして、ピンポイントで、柔らかくしたい所に炭火を置けば、「ここを柔らかくしたい!」ところが、正に柔らかくなってくれるので、実にやりやすい。

しかも、他の所は柔らかくしなくてもいいのだから、ガスバーナーは絞ってもいい。

輪ブタ直下が熱くなるというのは、実に吹きガラス作業においてやりやすいと、改めて気づく。

例えば長尺物の花瓶を作る時、輪ブタ直下に炭火を置いとけば、お尻が冷えて、割れることもなくなるだろうし、一人でピッチャーを作る時も、お尻をあたためられるので、底のポンテ跡から割れる心配もなくなるだろう。

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そして、炭火の意外な真実に近づくことができた。

実は炭火の遠赤外線とは、遠い所をじわっと暖める意味ではない!

のだ。

 

が、

なんか、とても眠いので、続きはまた。

あとひき固めを狙っているのではないんですが、ねむい。

 

おやすみなさい。

“薪と炭を使って吹きガラス” つまりこうゆうことだ。

 

さて、昨日の続き、ゴタクはいいので早く本題に入るとしよう。

吹きガラス炉の燃料にどうやって、薪を使っているのか?

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直に薪を焚いているのではない。

薪から発生する木ガス、つまりはケムリ、を燃やして燃料にしているのである。

実際に私の窯を見てもらったら、すぐに分かるのだが、文章で説明するのはちょっとめんどう。

今日は、石窯でパンを作っているTさんが見に来てくれたが、すぐに分かってもらえた。

さて、文章でうまく説明できるか、がんばってみよう。

 

今回、木ガスを使っているのは、吹きガラス製作の作業時に焚く加工炉、吹きガラス用語で、「ダルマ」といわれる窯である。

ガラスは冷めると硬くなり、加工出来なくなるので、冷めたらこの炉(ダルマ。テッポウともいう。今回はダルマと呼ばせて下さい。)で、あぶり直しては成型し、製品を作っていく。

一個の製品を作るのに、けっこうあぶり直す。

簡単なコップでも、仕上げまで5,6回はあぶり直すし、複雑なものだと何十回も。

時間に区切ると、1,2分おきにはあぶり直す、といった感じだ。

 

昼間の作業時だけに点火する炉だが、けっこう燃料代もかかる。

今の燃料単価だと、作るものにもよるが、一日2千円から3千円弱くらいはかかる。

 

で、私の作業場には、大小、二種類のダルマがあり、作るものにより使い分けている。

作品的な大きなものは大ダルマで、定番のコップや、ワイングラスなどは小さなダルマで、焚いている。

もっとも最近は大きなものを作っても売れないので、小さなダルマしか使っていないけど。

さて、そこで、この大小ダルマはレンガの壁一枚、隣合わせで作ってあり、排熱が行き来できるように壁に穴を開けてある。

うーんつまり、アパートの隣の堺の壁に穴があいており、自由に行き来できる状態、になっているのである。(なんかそんなマンガがあったですな)

ということは、つまり、となりの部屋で、バーベキューをやれば、排煙が直ちにこっちの部屋に伝わり、こらたまらんにおいがする訳で。

だから、大ダルマで、焚き火をすれば、ケムリが小ダルマに流れて来る。

で、そのケムリはまだ、燃える成分が残っているので、バーナーであぶれば、燃えてしまう。

つまり、大ダルマで、ケムリを発生させ、小ダルマで燃やしてしまおう、と。

 

で、

もともと、小ダルマは、ガラスを作るために、ガスバーナーを点けているので、その燃えるケムリは、補助的な燃料になるのですね。

ガスバーナーで燃やしてるところに木ガスが来れば、補助的に燃焼してくれるので、その分、ガスを絞って燃やせるじゃん!

というわけなのだが、お分かりいただけたであろうか?

さて、この画像、右が、今言ってた小ダルマで、左の、蓋して、鉄棒で突っ張っているのが、大ダルマだ。

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左の大ダルマの中には、薪がぎっしり詰め込んである。

 

朝、窯の立ち上げの時に、ぎっしりと薪を入れる。

 

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すると、前日の余熱がけっこうあるので、蒸された薪はすぐにケムリを出し始める。

そして蓋をして、蒸し焼き状態にしてしまうと、大量の木ガスが小ダルマに流れて来るので、そいつをプロパンバーナーで、一緒に燃やしてしまうのだ。

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ゴウゴウと燃えている。

つまり、こうゆうことなのだが、わかって頂けたであろうか?

すごく極端に言うと、焚き火のケムリをもう一回、バーナーで焚いて燃やし尽くしてしまう。

という原理だ。

ものすごく眠いので続きはまた。

“薪と炭を使って吹きガラス”

「機」というものは、熟する時を待っているかのようだ。

そして何かのきっかけで実現する。

 

薪を焚いて吹きガラスをやるなんて、冗談話で笑うレベルで、実現させようなどとは全然思っていなかった。

 

アフガニスタンのヘラートという町で、ターバンを巻いた痩せた髭親父が、
短い棒の先にガラスを巻き取り、吹きガラスのような事をしていて....

その横で、女の子が、薪を窯にくべている...のを、NHKのテレビで見たおぼろげな記憶や、

 

私の好きなレーマー杯が、森を一山潰して作られたほど、貴重なガラス製品だった事など、

 

知識としては、薪で吹きガラスをやってやれん事もないだろう、

ただし、膨大な手間がかかる・・・

一人じゃムリ。

と、思っていた。

 

だが何だか今年から、薪を焚く機会がやたらと増えた。

 

借りている山の家での、煮炊き、風呂、暖房はすべて薪である。

なので薪がいくらあっても足りない。

 

そこで、ロケットストーブという、新しい概念を導入し、薪の節約につとめてきた。

 

ところがもう一つ、ロケットストーブと裏表の兄弟のように、ウッドガスストーブ(TLUDストーブ)という、燃やし方が出てきた。

 

これはまあ、要するに、日本古来の炭窯や、もみがらを利用した、ぬくかど、などの伝統技術を新しい言葉に置き換えて、新しい器具を使って、木質バイオマスを利用しようという事なのだが、これまた面白い燃焼をするのである。

 

ロケットストーブは、うまく燃やすと、きれいに完全燃焼し、ススの付かない「煤切れ」の温度、400度以上だろう。

まで排煙の温度を上げて、燃やす事が出来た。

 

そして反面、友人がアマゾンで買ったウッドガスストーブは、炎好きの人間なら、飛びつく魔法の言葉「二次燃焼」を、デイパックに入る程の小さなサイズで軽々とやって、ひとつかみの杉っ葉で、10分もかからずお湯を沸かし、美味しいコーヒーを淹れてくれた。

そのような、薪割りが日課、という生活に突入しつつあった頃、

いつもの散歩道に行ってみると。

 

 

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くすの木の大木が切り倒されていた。

そしてその下には、大量の木質バイオマスが・・・

ま。要するにバイオマスとカッコつけんでも、大量の葉っぱと、枝と、幹、
なんだが。

 

 

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山の家の薪調達が最優先事項だった私は、

すぐに、

「これ、もらってもいいですか!?」

と、木を切っていたおじさんに聞いた。

「おーいいよー。遠慮はいらんから全部もってって!」

やった!大量の木質ばいおます、ゲット!

と、喜んだが、

量がハンパない。

多分、二冬分くらいは十分に暖まる薪の量だと思う。

割っても、割っても、まだまだある。

 

 

しかし、ほぼ生木なので、今はまだ燃やせない。

ストーブや囲炉裏で燃やすのには、まだまだ乾燥させないとダメだ。

 

 

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だけど、炭窯に入れて炭にしてしまったり、ウッドガスを抽出するのなら、生でも問題ない。

 

えーい、そんなら、ガラス窯に入れてしまえ!

と、ガラス窯で、薪を焚き始めた。

 

ま、つまりこれが、

"薪と炭で吹きガラスをやる"

きっかけになったのである。

 

トリガー「引き金」は、熟する時を待っていたのだ。

今年は早くも梅雨入り。そして緑のガラス小屋。

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今年はもう九州は梅雨入りしたそうです。

昨日までの真夏のような暑さを冷ますような雨が降っています。

写真を整理していたら、「こういう家に住みたいな〜」と思って撮った廃屋の写真がありました。

今はもう解体されて更地になってしまいました。
写真を撮っておいて良かった。

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私、最近建つ新築の家は嫌いです。なんか嘘くさくて。

こういう家が人の気配がして親しみがもてます。

うちのガラス小屋は緑の化けもんみたいになってしまいましたが。

 

 

 

さて、ところで、最近新しい窯の焚き方を模索しておりましたが、やっと結果が出ました。

 

それは。

 

「薪と炭を使って吹きガラスをやる!」

 

という無謀な試みです。

データーを取らないと成功かどうか判断がつかなかったので、報告が遅くなりましたが、確かに成功です。

成功の基準として、

「薪と炭を使って、自分の定番ものの吹きガラス製品が作れること。」

と、目標を立てました。

 

そして、できました。

一人で、ガッツポーズしました。

 

長くなりそうなので、詳しくはまた、写真など整理してから、レポートします。

とりあえず、新カテゴリ、新しい分類項目に、

「薪と炭で吹きガラスをやる。」

を加えました。

興味のある方は、ここにまとめる予定ですので、続きを書いたらぜひお読み下さい。

久しぶりの展示会情報。

長崎県諫早市の花栞さんで、この時期恒例となりました私の展示会です。

かなり何回もやらせていただいていますが、実は私まだ行った事がないのです。

すいません。

鹿児島からだと諫早はぐるっと回り込む感じで行かないといかんので、かなり遠いというのもあるのですが、なにせこの時期はやたらと忙しいので、身動きがとれないというのもあります。

それでスタッフの方々には大変お世話になっております。よろしくお願いします。

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それにしてもガスも灯油も高値で止まってしまい、このままだと首が絞まるだけなので、実験的に窯を新しい焚き方でやっております。

実験的なので、かなり試行錯誤。

どんな焚き方かは2,3ヶ月前の私のブログをチェックしている人なら想像つくかもですね。

成功したら報告しますが、失敗したら何も言いません。

そんな事やってないで、早く注文の品物作れ!と、お叱りの声が聞こえてきそうなので、実験はそろそろ切り上げて、通常運転にもどす予定です。

お待ちいただいている方々、もうしばらくご堪忍ください。

やっぱり鹿児島は暖かい。

鹿児島に帰って来たら急に暖かい。

今日など20度越え。間違えて桜が咲くのではないかと心配になる。

山の家に作る予定のロケットストーブも要らなくなるのではと思う程、暖かい。

ネットをボーと見てたら広島県三次市(みよしし)で、自作薪ストーブの大会が3月にあるらしく、とても行きたくなる。

http://iamstove.tumblr.com/

【おいしい、暖かい、面白い、気持ちいい
“平和な暮らしのための手作りストーブ祭り”

薪を利用した暮らしが、今再び注目されています。
2011年3月の福島原発事故以来、エネルギーや食べ物を自給したいと思う人達が増え続けています。
そんな人達にも役立つ知恵を共有しましょう。そして、韓国から火を扱う達人がやってきます。
日本と韓国、これからのエネルギーについての交流が始まります。】

薪や、ガス、灯油を燃焼させることは、語り尽くされてきた感があったが、ロケットストーブの登場で、まだまだ効率の良い燃焼について、いくらでも研究のしがいがあることが判り、最近また私も、炎好きの血が騒ぎ始めている。

吹きガラスを始めたのも、火が大好きで、自分で、窯を作り、火を自由に扱ってみたい、というのも理由の一つなのだ。

私がガラス窯をついた頃は、二次燃焼空気をうまく使うことが全盛の時代だった。

ところが、ロケットストーブは強い上昇気流を使って、効率よく燃料を燃やそう。という考え方が、基本になっており、二次燃焼は二の次という感じである。

どちらが良いのか?というと、ケース・バイ・ケースで、要は作ってみんとわからん。ということだ。

しかし、目指すところは一緒で、燃料を効率良く燃やし、発生した熱を再利用して、無駄のない燃焼行為を理想としている。

ほんの、2,30年前は、高度経済成長時代で、灯油だろうが、何だろうが、とにかくガンガン燃やしたもんの勝ち。だったのだが、今の時代の、燃焼をもっと良く考えてみよう、という流れは新しい燃焼の科学を生み出すだろう。

そう考えると、とても面白い。

(写真はその辺にあるもので作ってみたロケットストーブ壱号機。)

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ガラスの神様の好きなものは?ガラス窯で焼いたらいけないものは?

ガラス窯の火を落とすと、急にガラス小屋の空気が寒々として、どこかそっけなくなる。

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ガラスの神様がいなくなるのだろうか。

せめて少し残った余熱で、お湯を沸かして、コーヒーを淹れることにする。

ガラス炉の熱を利用して、給湯に利用したり、パンを焼いたり、お芋を焼いたりできるのだが、今はせいぜい湯たんぽのお湯くらいにしか使っていない。

昔のガラス職人は、お昼休みになると、窯の前に魚を焼いてお昼のおかずにしていたそうで、私もそれに習って、修行時代、窯焚きで泊りの夕御飯は、アルミホイルにサンマを包んで窯の前で焼いたりしたものだ。

魚は良いが、なぜか「四足」は焼いたらいけないのだ。

と、昔大阪のガラス工場にいたことがある師匠が教えてくれた。

なぜかは解らない。

私が思うにガラスの神様は、ケモノに近いのではないだろうか。

職人もケモノに近いときがあるからなあ。

 

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