新入社員気分も楽しい通勤路。

さて、福山天満屋から、ホテル・ロイヤル間の通勤も、4日目となると余裕が出てきて、近道を探したり、なんか面白いもんはないか?と、寄り道したりし始める。

まるで新しい職場に就職したかのようなこの通勤路が、個展の時の一つの楽しみである。

 

それで、つい離れた所に宿を取って、散歩しながら通勤するのが楽しみなのだ。

で、今回の、面白いものの一番がこれ。

 

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崩れそうな小屋に、エントツ!

もうグッと来ますな。

特にこの瓦のすべり具合がとても良い。

どうしておんぼろ小屋にはエントツがこんなに似合うのでしょう。

すばらしい小屋です。

 

ま、しかし。

お前はボロ小屋にしか興味が無いのか?

と思われるのも、しゃくなので、もひとつ、よかったものを。

フォルクスワーゲン、UP!

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この車、久しぶりに乗ってみたいと、思わせる車です。

シンプルだけどおしゃれで、走りもワーゲンの特徴のカッチリとした足回りで、高速でも、街中でも楽しく走れそうな感じ。

日本車はハイブリッド全盛だけど、車はやっぱり、「この車で、どこかに行きたい!」「ドライブしたい!」という車がいいな。

 

 

 

グラス、グラス、グラス。

展示会も三日目となると、ちょっと疲れが出てくる。

なにせ、いつもと違うことをしているので、体が慣れてくるのが三日目くらいになるのだろう。

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それで、眠くてしょうがなかったのだが、今日は私の吹きガラスの師匠の奥さんと、ギターの師匠がいらしてくれたので、元気が出る。

吹きガラスの師匠は、本当にこの人がいなかったら今の私もいなかっただろうというほど、人生の師匠であり、深く恩義のある人である。

そして、ギターの師匠はこの人との出会いがなかったら、妻との出会いもなかったという、不思議な縁のある人である。

ギターの師匠が、焼酎のお湯割りを飲む、ということで、買っていただいたグラス。

けっこう入るので、あまり飲みすぎないで下さいね。

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「今日も先生と呼ばれて年をとり」

ガラス作家というか、いわゆる「作家」と付く仕事の場合、作品を作っている日常生活と、その作った作品を売りに行く、「展示会」との差がはげしい。

なにが激しいかというと、一番は服装である。

いつもは穴のほげた、ボロボロの作業服を着て仕事をしているのだが、展示会などはデパートとか、なんとゆーか、ちょっと肩のこるところに、詰めないといけない。

それでまあ、それなりの服を着る訳で、めったに着ない服をタンスの中から取り出す事になる。

 

めったに着ない服を着ると、肩はこるのだが、以外に良い点もある。

 

まず、めったに着ない服なので、長持ちする。

作業服のように毎日着る服だと、とても気に入っているのに、毎日着てるから、悲しくもボロボロになり、ウエス行きとなる。

ところが、展示会用の服はせいぜい、年間数十日しか着ないので、とても長持ちする。

これは経済的に大変うれしい。

さらに余禄。

尻ポケットに入れたまま、洗濯した紙のお金が、かちかちに化石化して出てくることがある。

これは経済的、(特に個人経済的に)大変うれしい。

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そしてなんか使うのも、もったいない気がするので、また大事にポケットにしまうのである。

 

 

これから一週間ホテル暮らし。

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10数年ぶりの福山市。

鋼管町から朝日が昇る。

鹿児島、大阪間の新幹線が、必ず止まるのは、ここ広島県の福山市と、わが町、鹿児島県、薩摩川内市だと聞いたことがあるが、本当だろうか。

理由は、福山市には、西日本鋼管があり、薩摩川内市には原発があるから。

両市とも、日本のリバプール、と私は勝手に思っている。

 

ま、とにかくホテルにチェックインして、私のいつもの癖で、部屋のテレビや、冷蔵庫や、電気スタンドを動かして模様替え。

テレビは見ないので、隅に押しやり、テーブルの上を広くする。

ホテルにテレビがあると、無駄にボーと見てしまい時間があっという間に過ぎるのを予防するのだ。

これで自分の部屋という感じになってきた。

出て行くときは、元の位置に戻しますから、勘弁してね、お掃除のおばちゃん。

 

こんなところに床屋が。

こんなところに床屋があるぞ?

というところに床屋があって一回行ってみたいと思っていた。

行ってみたら、大当たりだった。

 

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「よい床屋を見つけるのは、良き伴侶を見つける事と同じく、幸せをそなたに運ぶ。」

と、だれも言ったことがないが 私は言いたい。

 

チョキチョキと髪を切る音が心地よい。

おじさんはハサミもバリカンもカミソリもご自分で研がれるそうで、切れ味が絶妙なのである。

カミソリは一番研いだところから、少し刃を甘くするそうで、それで剃ったあとはヒリヒリしないのだ。

と言われ、久しぶりに伸ばした髭を剃ってもらう。

 

確かにヒリヒリしない。

だか、家に帰ったら、「つるつるが気持ち悪い」「お面かぶっているみたい」「こっち向かないで!」とさんざんだ。

ま、よい。自分が良ければ。

で、さっぱりして、広島県福山市の天満屋で22日から展示会。

その頃には少し髭も伸びてると思う。

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ガラスの神様の好きなものは?ガラス窯で焼いたらいけないものは?

ガラス窯の火を落とすと、急にガラス小屋の空気が寒々として、どこかそっけなくなる。

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ガラスの神様がいなくなるのだろうか。

せめて少し残った余熱で、お湯を沸かして、コーヒーを淹れることにする。

ガラス炉の熱を利用して、給湯に利用したり、パンを焼いたり、お芋を焼いたりできるのだが、今はせいぜい湯たんぽのお湯くらいにしか使っていない。

昔のガラス職人は、お昼休みになると、窯の前に魚を焼いてお昼のおかずにしていたそうで、私もそれに習って、修行時代、窯焚きで泊りの夕御飯は、アルミホイルにサンマを包んで窯の前で焼いたりしたものだ。

魚は良いが、なぜか「四足」は焼いたらいけないのだ。

と、昔大阪のガラス工場にいたことがある師匠が教えてくれた。

なぜかは解らない。

私が思うにガラスの神様は、ケモノに近いのではないだろうか。

職人もケモノに近いときがあるからなあ。

 

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やっと一ヶ月めになった。

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前回、「燃料代が月20万」とか書いたが、なんか低すぎるような気がして、もう一回、正確に計算し直してみたら、月25.5万だった。

私が独立した2000年の頃は、灯油がリッター41円で、それが今はリッター100円。

約2.5倍だからこの計算で合っている。

あんまり高いので、正確に計算するのもおとろしい。

 

とにかく、とりあえずは連続一ヶ月吹き続けたので、あとは作った製品の最終仕上げと、荷造りをして、広島に行く。

やれやれ。

言い訳になるけど、今は静かな異常事態です。

さて昨日、ぎりぎりモードに突入していることを書いたけど、まあブログを書く余裕は出てきたので少し嬉しくなっている。

言い訳になるが、こんなにギリギリになって、個展の作品を作っているのは、今の異常な燃料高が原因である。

私のガラス窯は、燃料に灯油とガスを使っている。

この写真の左側が作業炉でガスバーナーを焚いており、右側がガラス熔解炉で灯油バーナーを焚いている。

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こんだけ真っ赤に焼けているので、当然燃料を食う。

今、ウチの窯で燃料代は月に約20万円かかっている。

知らない人は「へーそんなもんか」と思うだろうが、昔、と言っても約10年前は、月に8万円もかからなかったのである。

つまり、20万円の資金があれば、軽く二ヶ月以上、窯を焚けた訳で、ひるがえって20万円で一月しか仕事できない今の状況は、大変苦しい。

で、下手に火をつけると、まさに燃えるようにお金が消えてゆくわけで、やむを得ずギリギリまで仕事を先延ばしし、短期決戦で一気に作ることになるのである。

当然、体にも悪いし、家庭にもよくない。

しかし、異常事態とあきらめるしかない。

 

多分、この寒い夜に日本全国のどこかで、灯油ストーブのタンクに燃料も入れられず布団にくるまっている人もいるだろう。

何も文句も言えずに。

静かな異常とはそのようなものだろう。

 

どこかで人が静かに死んでゆく。

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仕事のしすぎが基本・・・・になってしまった。

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去年の年末に窯に火を入れて、ずっと吹いている。

今月末に広島で個展があるので、その為の作品をギリギリで作っているのである。

ここまでギリギリだと、小便をおもらししたくなるくらいの恐怖を感じている。

頭の中では「どうしよう、どうしよう」という言葉がぐるぐる回っているだけで、どうしようもない。

 

娘は冬休みの宿題を、学校が始まった今頃からやっているが、本当にこやつの度胸がうらやましい。

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どうしよう。

小さな滝のほとりに住むことは。

できることならば山の中に小屋を建て、一人でこもっているのが私の夢だ。

ひょんな事から田舎に家を借りることになり、夢に近づいたので近頃いろいろ忙しい。

借りることができたのは良いが、まあとにかくボロボロである。

なにせ家主さんが、「そのまま朽ち果てさせるつもりだった。」

とおっしゃるとおり、四方から朽ち果て、荒廃が押し寄せてきている家なので、それを押し返そうと私は近頃大工であり、左官であり、肉体労働者である。

 

南九州の田舎の放置された家屋は必ずあちこちシロアリの巣になっており、ボロボロに崩れた敷居や束柱を取り替える大工仕事がまず第一。

次に田舎の家は当然、汲み取りトイレなので、それを取り壊し、モルタルで埋め、コンポストトイレに変える左官仕事が第二。

そして来る冬に備え、倒木を集め、薪を作る肉体作業。

とにかく忙しい。

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しかしながら私は一人でこもっているのではない。

腐った敷居や束柱を取り替えて、なんとか住める状態にするのには、集落の人たちや、子供の友達の父、母が手伝ったり、資材を提供してくれた。

コンポストトイレの制作は、友達の大工さんが、古い汲み取りトイレをぶっ壊し始めてくれなくては、一人ではなかなか進まなかっただろう。

薪を集めるのにも、集落の人たちからの薪情報のおかげでどんどん集まったのである。

 

思うにむしろ東京とかで一人暮らししたほうが、よっぽど山ごもりに近いと思う。

自分を見つめるには山ごもりしないと、できない、と思うことは間違いだとムーミンのミィも言ってたな。

 

以下、ミィのセリフ引用。

「逆よ、全く逆よ。自分と向き合うにはひとりになるんじゃないわ。いろんな人と関わりあうのよ。お友達とおままごとしろって言っているんじゃないの。自分の知らない、自分を知らない人たちと関わりあうのよ。見えてくるわよ、本当の自分が」

 

でもやっぱり、雨降りの日、一人静かな山の中にいるのはいい。

 

ここで一句。

 

独居山 手洟かみ 雨音激し