スモール イズ ビューティフル を読むと。

スモール イズ ビューティフルを読むと、たちどころに眠たくなってしまう。

仙台の行き帰りの待ち時間に、読破しようと、デイパックに入れて行ったのだが、2,3分も読むと、ものすごく眠くなり、はっと気付くと寝ている。

熟睡して、ヒコーキが飛んでしまっては、パーなので、読みたくてもあまり読めなかった。

いや、なんかいい事言ってるなーと思うのだが、いかんせん、翻訳文独特の伝わりにくさと、もともとの、ちょっと回り道して説明するような文体が、たまらなく至福の眠気を誘う。

 

しかし!その中で、我が意を得たり!という箇所をちょっと抜粋してみる。

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「したがって、現代技術は、人間が楽しんでする仕事、頭と手を使っての創造的で有益な仕事を奪い、代りにみんながいやがるコマ切れの仕事をたくさん作り出したと言って良い。」

「・・・人が仕事に費やす時間からすべての人間的な喜びや満足感が失われてしまうという事が起こった。現場での生産のほとんどが、人間を豊かにするどころか貧しくする、非人間的な雑用になってしまった。」

「実のある仕事が人をすこやかにする力、教育する力を考えてみてほしい。・・・今日ではなかなか手が届かない特権、つまり頭と手を使って、好きなときに自分のペースで、性能のよい道具を使って役に立つ創造的な仕事をする機会を、だれもが手に入れることになるだろう。」

E・F・シューマッハー スモールイズビューティフルより、抜粋

 

以上、3箇所を抜粋してみたが。

 

出版がなんと、1971年。この本は世界のベストセラーになり、シューマッハーは現代の預言者になった。らしい。

どれだけの人がこの本を手にしたかは判らないが、多分、多くの人が眠たくなったかもしれないが、石油危機と、増殖する現代文明の不気味さに、感づき、救いと回答を求めて、この本を手にしたのだろうと推察される。

 

そしてシューマッハーは、その答えに、手仕事の重要性を用意していたのだ。

一人の人間が、自分の手をもって、完成させる、一つの手仕事。

その満足感と、幸福感を救いとし、回答としたのはまさに慧眼という他はない。

 

しかしながら、1971年からもう2014年となり、回答はあるのに未だ救いは得られず、我々はますます混迷の泥沼にはまっていくようである。

これは、化石燃料を始めとする地球資源を簒奪することでしか、経済を進めて来れなかった人類の、根本的な愚かさゆえであろう。

 

この本は「経済学」に対して、その根本的な愚かさを主題としているようなのだが、私は、そこのところをもっと深く、読み込もうとすると眠くなってしまうので、「経済」、のところがよくわからない。

ただ、思うに、「経済」、を、発展するもの、右肩上がりのもの、とする設定は、元が間違ってると思う。

 

生まれ、成長し、やがて衰え、死んでいくのが生命だ。

そこに、繁栄し続ける事を理想とした「経済」、を植え付け、あたかも不老不死のごとく見せようとすることは、どだい矛盾のカタマリなのだ。

そうゆう事をシューマッハーは多分この本で言いたかったのだろう、と思うが、更に読み込もうとすると、眠くなってたまらない。

しばらく、私の枕元の座右の書となりそうである。

 

 

 

 

 

 

 

岸田劉生の麗子像をぼんやり眺めていて気付いた。

これは愛だったんだな、と。

グロテスクだの、気持ち悪いだのと、言われがちな麗子像だけど、子供って、可愛いだけではなくて、こんな人間以前の本能をさらけ出す生き物だ。

それを誤魔化さず、正面から向き合って誠心誠意、表現したところが麗子像のすごさなんだ。

最近では奈良美智さんが描いている上目使いに睨みつけるような可愛さだけではない、こどもの本質をとらえた表現をされているのと、同じような苦しく、シビアな表現だと思う。

子供の本質を誤魔化さず、描ききることは大変苦しい作業だっただろうと想像する。

それも、愛があったからこそ描けたのだろう。

 

と、子供をもってみて初めてわかる麗子像であった。

 

子供が地球上最悪の生物であることの35の理由

 

 

 

 

七夕飾りの仙台光原社から帰ってきました。

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二年ぶりの仙台光原社は変わったところもあり、変わらないところもありました。

最初に気付いた変わったところは、

金魚が、でかくなってる!

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前の写真を探しましたが、なかったので、旧ブログの記事をリンクしておきますが、画像が小さくてよくわからないけど、明らかに金魚さん、大きくなっていました。
これも、光原社の優しい人達が日々お手をかけているからでしょう。

2012年7月8日の仙台光原社行きの記事

さて、今年の仙台光原社の外見はこんな感じでした。

表通りから。
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角の裏通りから。
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ツタが少し伸びたようですが、そんなに変わっていないですね。

私の展示のようすはこんな感じでした。

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きれいに展示してくださってありがとうございました。

お店を閉めたあとはこんな感じ。

これからお話合い、鹿児島弁で飲ん方に行く前にパチリ。

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やっぱり、仙台は涼しいでした。

お店のスタッフの方達が、今日は暑いですねーと、おっしゃってましたが、私は、全然涼しかったのです。

日頃暑さに鍛えられている自分の体が、誇らしくもあり、

涼しい仙台がうらやましくもあり。

 

やっぱりクーラーのいらない夜はちょっとうらやましいですね。

梅雨入りと梅雨明けの平均は?

台風一過、すっきりと晴れ上がるかと思ったら、すっきりしない。

 

最近はどうもこんな感じが多い。

はっきりしない天気だから、私はもう自分勝手に梅雨明けということに、はっきりしてしまう事にしよう。

 

ところで、吹きガラスは夏に忙しくなる商売である。

というか、春先から暖かくなって来るとよく動くようになる。

なので、この季節に展示会をする事が多いのだが、問題は梅雨である。

展示会をするお店の人と打ち合わせする時に、梅雨時は避けるようにしたいのだが、なんか梅雨って正確にいつからいつまで、というのがないので、いつも油断して、結果、梅雨時に展示会がかかってしまう事が毎年の事である。

ところが、今回、

台風8号、ノグリーくんの情報を集めようと、気象庁のホームページを見ていたら、「各種データ、資料」のところに、「過去の梅雨入りと梅雨明け」という、データがあった。

そして、ここに、過去1951年から、現在までの梅雨入り、梅雨明けのデーターがちゃんと書いてあるのである。

気象庁、過去の梅雨入りと梅雨明け

 

これによると、南九州の梅雨入りは、だいたい、5月終わりから、6月はじめ、梅雨明けは7月末ごろ、という事である。

つまり、6月はほとんど梅雨、梅雨明けは子供たちの夏休み前。

と、考えていたら、おおかた合っている事になる。

 

 

今回、霧島でやっている更紗さんの3人展も梅雨にかかってしまい、更に台風まで来てしまった。

誠にすまん事であった。

なので、DMに使った写真のメイキングバージョンをアップし、明日とあさってまでの三人展にぜひともご来場を願うものである。

 

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今回のDMに使ったのとは別バージョンの写真。

どこが違うかはこちらと比べてみよう。

私的な詩的吹きガラスたち

次にDMでは各個人の顔写真の横に白黒画像でのっていた作品写真のカラー版。

七尾佳洋さんのティーカップと、イッチンミニ湯のみ。

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七尾うた子さんの渋いミニ湯呑みと、中の赤い片口。

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んで、私のひわ色口巻小タンブラーと、灰釉泡瓶。
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明日、2014年7月12日、土曜日と、7月13日、最終日の日曜日は、七尾うた子さんが、在廊する予定ですので、ぜひこの不思議に強くも渋い作品群の親玉に会いにいって頂きたいものである。

 

籠城準備完了!

雨戸を閉めて、飛びそうなものの上に薪で重しをし、ついでに畑の草刈りと、木の剪定をやって台風対策が完了した。

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今日は台風準備のため、吹きガラス作業は休み。

こうゆう時、止められない窯は困る。早く窯を改造したいものだ。

さて、台風8号ノグリーくんだが、思っていたよりヘタってきたようだ。

はっきりしていた台風の目もなくなって、形もバラけてきている。

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多分、東シナ海の海水温がまだ低かったので、勢力を削ぎ取られたのだろう。

しかもコースが西にそれて、九州に真横から当たってくるコースどりになった。

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このコースなら、威力はだいぶ下がる。

北上しながら斜め左後ろから、えぐりこむように直撃するコースだと、強烈な南風が台風の進行するスピードに増幅され、軽く瓦がふっとぶ暴風になるのだが、西から、いそいそと来る場合、無理やりに東に進むことで、勢力が弱まるであろう。と予想する。

それに南西諸島の各空港の風速を見ても、そんなに強くないので、ノグリーくん、だいぶ弱ったようである。

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それにしてもインターネットのおかげて、気象庁の最新情報が得られるのは、大変ありがたい。
テレビやラジオの上っ面な情報より、生のデーターを見ることのできる気象庁のサイトはこうゆう時、大変頼りになる。

 

気象庁

 

まだ、油断は出来ないが、ノグリーくん、明日の正午ごろに、こちらにいらっしゃる予定。

 

来るなら来なさい! 

時間つぶしのDVDもこの際だからいっぱい借りたぞ。

 

 

しかし台風の生暖かい風のせいか、南方系の植物が急に元気になって来たのが、おもしろい。

 

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バナナとか。

 

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ソテツとか。

今度の台風はやばいかも。

きのうまで涼しかった空気が、急にブ厚くなって、台風が押し上げた南方の温気が息苦しい程だ。

 

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台風が来るかも知れない。

鹿児島で、強烈な台風が来ることは、命がけである。

特に、何もさえぎるもののない海上を渡ってきた台風の目が、左斜め下から直撃するコースの場合、最悪、家屋倒壊、最低でも瓦の5,6枚は飛ばされる覚悟をしておかないといけない。

今回のノグリーくん、その最悪のコースである。

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仙台の光原社さんの個展に向けて、ラストスパートをかけていたが、進路次第では、窯の火を落とさないとやばいかもしれない。

あとは念じるのみ。

正夢

「こいつは画期的な正夢だ!」

と、いう夢を見て目が覚めたのだが、トイレに行ってうろうろしているうち忘れてしまった。

どうしても思い出せず、もう夜10時だ。

もう一回寝たら、思い出せるかも。

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グーグル先生にも苦手なものがあるのだ。

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グーグル検索と英語辞書のどっちをあなたは信用しますか?

わからない事や、ふと疑問に思う事があったとき、ちょっとグーグルで検索してみる人は多いのではないだろうか?

検索して、納得のいく情報が出てくる時もあるし、なんじゃこりゃ?という検索結果ばかり出てくる時もある。

 

しかしよく考えると、当然の事ながら、グーグル以前とグーグル以後がある訳で、私はグーグル検索を使い出してから、めっきり辞書を引かなくなってしまった。

検索をあてにしないで、ちゃんと辞書を引かないと正しい答えは出てこない、とよく言われるので、辞書を引かずに検索するのにちょっと後ろめたい気分も(特に子供の前では)あるのだが、言葉によってはけっこう精度が高い、と思う。

特に、英語の辞書はほとんど触らなくなった。

昔買った学校仕様の英語辞書なんて、日本語と、コンピュータ英語と、2ちゃんねる日本語と、ごちゃまぜになったネット文章を解析するのには限りなく精度が低く、絶対に正解にたどり着けないのはわかっているから、手が出ない。

反して、漢和辞典や、国語辞典はまだ手が出る事が多い。

英語辞書と比べて、何となく信用が置けるところがある。

なんでそう思うのだろう?

グーグル検索はいつから稼働し始めたのだろう?

ウィキペディアさんによると、グーグル様が検索ワールドに降臨されたのは1998年らしい。

検索エンジン

なんだそんなもんか、と思うほど、思ったより最近だ。

そこからあっと言う間に検索ワールドを席巻し、今やビッグデータの海をたゆたっていらっしゃる訳で、もうまったく訳わからん。

まさにもう神、と等しく、「グーグル様のごきげんを損ねては大変!」と、日々グーグルの検索エンジンに恐々とし、高いお金を払って、検索上位表示請負専門会社に高いお金を払っている歯医者さんもいるらしい。

ところがそんなグーグル様にも苦手なものがあるのである。

試しに、私が得意とする、「文章そのまま入力検索」で、「グーグル先生が苦手なもの」

と入れてみよう。

すると、

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どうやらグーグル先生はB型の人が嫌いらしい。
お!

いやそうじゃないだろう。

私が今、勝手に思っているのは、

グーグル以前と、以後で、グーグルの飲み込んだ情報量は違うのではないか?

ということだ。

つまり、

グーグルは1998年以前の情報はちょっと苦手。

なんじゃないの?

と、思うのである。

検索エンジンが現れて、ホームページをウエブ上にアップする人達が出てきて、次にブログが出てきて、割と更新のスピードの早いホームページ、といった感じで情報がアップされ、そしたら、ツイッターが出てきて、フェイスブックが出てきてと、次々、新しい情報は更新されまくって来ているのだが、

それは、当然「検索エンジン以降」のお話で、それ以前の情報は、各個人の方々は、昔話でもしない限り、「あまり、ウェブ上に出していない。」

のではないだろうか?

なんでそう思ったのか、と、いうと、個人的に私、悩んでいる事があり、ずっと疑問なのだが、わからない事があるのだ。

それは、

どうして、日本家屋には、暖炉が普及しなかったのか?

というまあ、一般の方々にはどうでもいい疑問なのだが、

どうして、暖炉でなく、囲炉裏だったのか?土管があったのだから、煙突は付けられた筈なのに、煙い思いをがまんして、なぜ囲炉裏だったのか、直火を使うのなら高い炭を買うより、ちょっとした煙突をつけたら、そっちのほうがいいと思うが?

と思い悩み、グーグル先生に聞いてみた。

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結果はまあ、かなりしょうもなかった、と言っておきます。

だから、グーグル先生は昔の事はあまり、お詳しくない、と。思った訳で。

知りたくても多分、1998年以前の情報を積極的に出す人は、あんまり多くないんじゃない。と。

だから私、漢和辞典や、国語辞典がなんとなく、グーグル先生より信頼できる気がしたのですな。

1998年生まれだがね、ヒヨッコですな。

しつけも出来ていないんじゃないの?

ハ、ハ、ハ、

(終)

吹きガラス作家は本当に食べていけるのですか?

炭火吹きガラス炉は、今日も快調である。

 

今日は久しぶりにこのコップを作る。

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いつの間にか定番コップになってうれしい。

 

難しいけど、作るのが面白いコップである。

 

さて、炭火の遠赤外線効果が、吹きガラス製作でどうして優位になるのか?

と、書こうと思い、炭火のことをパソコンで調べていたら、なにかの質問箱に、

「兄が、ガラス作家になろうとしていますが、どうしたらいいのでしょうか?

ガラス作家は食べていけるのですか?」

 

みたいな趣旨の質問があって、つい、釘付けに見てしまった。

 

ガラス作家は食べていけるのですか?

食べて行けません!

と、即座に回答しようと思ったが、ま、落ち着いて人々の回答を見てみると。

 

けっこうな数の回答があり、おおむね9割が、「やめた方がいいです」

と、ごくまっとうな意見であった。

で、残り、1割、が「本人の好きにさせて行ける所まで行かせてしまえ。やりたいのならやってしまえば、結果はどうでも良いではないか」

というもので、なるほど、これが正解であるかな、と思い直した。

よく考えてみたら、自分も、そうゆう人間の一人だった訳だし、吹きガラス作家になる為に、修行したり、勉強したり、専門の道具を少しずつ買い揃えていたりしている人間に、何を言っても無駄ではないか、ということなのだ。

 

ま、しかし、私は独立したい!という人に、ことごとく、「やめた方がいい。」

と言ってきたイヤミなおじさんなのだが。

 

いや、私とて、「ぜひ、そうしなさい!楽しいよー!一緒に展示会やろうね。」

と言えたらどんなに良いか。

だが今はとにかく燃料代が高すぎる。

前の記事でも書いたが、月20万の燃料代を叩き出す事は、生活のサイフが一緒になっている個人作家には痛すぎるのである。

 

言い訳になるけど、今は静かな異常事態です。

 

実は今回、吹きガラスの窯を、薪で焚いてみたり、炭火を使ってみたりしているのは、燃料の事を改めて、考えてみたいからである。

そして、私は新しく吹きガラスをやろうとしている人達に、ぜひ、やってみて下さい!

と言えるようになりたい、と思っている。

ちょっと長くなるが、そこのところをちょっとこの際だから言っておきたい。

 

吹きガラス作家にこれからなろうとしている人達へ。

ここのところ、薪と炭を使って、吹きガラスの窯を焚く方法を模索しているのだが、実はまだ、「結局のところ、ガス代や灯油代がいくら安くなったのか?」

という、肝心なところは書いていない。

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窯に詰める薪の量にもよるし、作るものの大きさによっても、燃料消費量は違ってくるから、もう少し、データーをとらないと、本当のところがまだわからないからだ。

 

“薪と炭を使って吹きガラス” つまりこうゆうことだ。

 

だが実は結論から言うと、確実に節約出来ているのは確かだ。

作る物にもよるが、作業炉で、一日、3分の1から、半分のガス代は節約できているだろう。

しかしながら、

これは節約でやっているのではない!のである。

言うなれば、

「自分の汗が確実に仕事と結びつく。」

その手応えの為にやっている、と言った方が良い。

「金の話をすると野暮になる。」のである。

一日ガス代が、3分の2や、半分になったとて、お金に換算すれば何ほどのものでもない、せいぜい千円になるかならんかといったところだろう。

薪を切ったり、割ったりする手間を考えると、比較の対象にもならない。

では、なぜ?

金ではないのだ。

なぜ、自分が吹きガラス作家になろうとしたか思い出してみるがいい。

なんどでも言うが、金ではない。

この訳のわからん世の中で、自分の居場所を見つけるため、訳もわからず走っていた結果、こうなった。

のだ。

 

思えば。

当たり前のように入った学校では、当たり前のようにテストされ、何の役にも立たない数字を詰め込まれ、すべて点数がすべてで、一番以外は、いわれのない劣等感を埋め込まれ続け。

社会に出たら、社長にこき使われ、夜遅くまで縛り付けられ、腹をすかせてでも早く残業をすまそうとしたら、夜食をとられ、もらったお金を見れば、隣のやつに完全に負けてて、やっぱり、劣等感とつきあわされ。

そして、ガラス作家になってみれば、燃料代をかせぐため、やっぱり金が要り、気付いてみれば、町で一番灯油を注文する人間で、エネルギー業界のヘビーエンドユーザーで、かっこ悪く言えば、売人から見れば要はネギしょったカモで。

それでもがんばってデパートで展示会をやれば、今日の売上はいくらで、目標まであといくらで、ああ、そういえばあの作家さんはいくらだったかしら、と、やっぱりお金が顔になり。

思えば。

なんの為に作家になったのだろう?

 

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だから、この際だから言っておきます。

 

これから、吹きガラス作家になろうとしている人達へ。

 

ぜひおやんなさい。

あなたがあなたであるために。

でも、その為には、いままでの、常識や、習い覚えて来たことに、とらわれたままではいけません。

なぜならば、これからの時代は大きく変わるからです。

昭和の景気の良い時代に、形作られた窯のノウハウや、エネルギーの使い方ではこれからはやっていけません。

新しいやり方が必ずあるはずです。

まず、しじゅうガラス炉を焚くといった、無駄なやり方は変えるべきです。

寝ている間も金が燃えていく、風邪で休むのにも金がいる。

新しい焚き方にするのはむずかしいかも知れませんが、もう今のやり方で、個人作家はやっていけません。

いっしょに考えて行きましょう。

 

ガスや、石油や、電気の元締めに振り回されるだけの、「末端」では潰されるだけです。

 

何より、あなたが流した汗は、貴方のためにあるべきです。

 
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今年は早くも梅雨入り。そして緑のガラス小屋。

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今年はもう九州は梅雨入りしたそうです。

昨日までの真夏のような暑さを冷ますような雨が降っています。

写真を整理していたら、「こういう家に住みたいな〜」と思って撮った廃屋の写真がありました。

今はもう解体されて更地になってしまいました。
写真を撮っておいて良かった。

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私、最近建つ新築の家は嫌いです。なんか嘘くさくて。

こういう家が人の気配がして親しみがもてます。

うちのガラス小屋は緑の化けもんみたいになってしまいましたが。

 

 

 

さて、ところで、最近新しい窯の焚き方を模索しておりましたが、やっと結果が出ました。

 

それは。

 

「薪と炭を使って吹きガラスをやる!」

 

という無謀な試みです。

データーを取らないと成功かどうか判断がつかなかったので、報告が遅くなりましたが、確かに成功です。

成功の基準として、

「薪と炭を使って、自分の定番ものの吹きガラス製品が作れること。」

と、目標を立てました。

 

そして、できました。

一人で、ガッツポーズしました。

 

長くなりそうなので、詳しくはまた、写真など整理してから、レポートします。

とりあえず、新カテゴリ、新しい分類項目に、

「薪と炭で吹きガラスをやる。」

を加えました。

興味のある方は、ここにまとめる予定ですので、続きを書いたらぜひお読み下さい。